現代を生きる私たちは皆、「自分らしい人生を送りたい」「本当の自分を見つけたい」という根源的な願いを抱いています。
この願いは、しばしばスピリチュアルな探求の究極のゴールである「さとり」とは違うものだと捉えられがちです。
しかし、エックハルト・トールの教えを紐解くと、この二つの願いは、「思考の幻想から解放され、内なる静けさの中にある真の自己に戻る」という、同じ一つの衝動から生まれていることがわかります。
トールが説く沈黙と平和こそが、あなたという存在のエッセンスなのです。
「自分らしく生きたい」という現代人の願い
近年、「自分らしくありたい」「本当の自分を見つけたい」という声は、特に情報化社会やSNSの時代において増大しています。
私たちは、他者との比較や他人の目に映る自分の価値を強く意識せざるを得ません。
エゴ(幻の自己)は、所有物、職業や肩書き、他人からの評価、知識といった外側のものによって自分を証明しようとします。
そのため、多くの人が不足感や欠乏感を抱え、「自分は何か足りないのではないか」「もっと満たされる必要がある」という強迫的な思いに駆られます。
この感覚が、終わりなき「自分探し」ブームの背景となっています。
“自分らしさ”とは何を指すのか?
私たちが通常「自分らしさ」と考えるのは、性格、好み、才能、学歴、社会的役割などです。
しかし、これらはすべて、思考や過去の経験によって条件付けられた心が作り出した「偽りの私」、すなわち精神的な構築物(エゴ)にすぎません。
トールの教えによれば、思考が作る小さな「私」が自分の知るすべてであると信じ込んでいる状態こそが、多くの人の苦しみの根源です。
この幻の自己を探し、それに自分を同一化しようとするほど、迷いは深まり、真の自分から遠ざかってしまうのです。
トールが示す「本当の自分」とは
トールが示す「本当の自分」とは、思考の声ではなく“気づいている意識”です。
トールは、人類の苦悩の原因は頭の中の思考の流れ、つまり心の絶え間ない騒音に完全に自分を同一化していることにあると説きます。
この思考こそが、過去によって条件付けられた偽りの自己(エゴ)を生み出しています。
トールは、「あなたは思考ではなく、それを見ている意識だ」と語ります。
思考という幻の自己の背景に、それに気づける別の自分がいるということなのです。
この意識(気づき)こそが、形のない生命であり、あなたの本質です。
自分らしさは“つくる”ものではなく“在る”もの
エゴは、自分をより大きく、特別な存在に見せるために、所有や役割を通じて自分を定義しようとします。
しかし、本当の自分らしさとは、つくるものではなく、すでに存在しているものなのです。
本当の自分とは、名前や形を超えたあなたの本質であり、決して失われたり破壊されたりしない永遠の生命です。
静寂な心や無心状態の中で、他人の期待や社会的役割を超えた、大いなる存在そのものに戻ることこそが、トールの教えにおける真の自己の発見です。
「さとり」と「自己実現」の本質的な違い
一般に言われる「自己実現」や「成功」は、外部的な目的に焦点を当てます。
これは、何者かになる努力、つまり成長、成功、達成に価値を置くアプローチであり、時間(未来)の次元に属します。
エゴは、目標を達成し、成功という「形」を手に入れることで一時的な満足感を得ようとしますが、それは常に相対的で一時的なものにすぎません。
自己実現を外部的な目的だけに頼ると、心の平安は訪れず、常に欠けている自分という感覚に苛まれます。
さとりは“内に戻る旅”
トールが説く「さとり」とは、ブッダが説いた「苦しみの終わり」であり、大いなる存在と一つであることを意味します。
それは何者かになろうとする動きをやめ、「いま」という瞬間に深く在ることで、すでにある自分(完全無欠な状態)を思い出すことです。
悟りは未来に開けるものではありません。
解放は常に「いま」この瞬間、思考の夢から目覚めるという内的な意識の転換によってのみ起こります。
どちらも同じ源から生まれた願い
私たちが抱く「より自然に、自由に生きたい」という衝動は、方向が違うだけで本質は同じです。
- 「自分らしく生きたい(自己実現)」
→自由や充足を求める衝動 - 「さとりたい」
→内なる意識の状態へと向け直し、思考の牢獄から解放され真の自由を得たいという衝動
人生の真の目的は、内なる目的(どう在るか/意識の状態)であり、外部的な目的(何をするか)ゲームの勝ち負けのようなものに過ぎません。
人生を自由にするためには、内なる意識の状態に焦点を当てることが不可欠なのです。
本当の自分に戻る3つのステップ
本当の自分、すなわち「いまに在る意識」に戻るための道は、誰でも実践できるシンプルなステップに集約されます。
① 思考を観察する
自由への第一歩は、「自分の思考は本当の自分ではない」と気づくことです。
頭の中で絶え間なく流れる声、「私は〇〇である」という自己認識や文句や不満を、評価を下さず、ただ客観的に眺めます。
このとき、思考を止めるのではなく、「思考に気づいている私」という高次の意識が活動し始めます。
この気づきによって、思考と自分を切り離し、思考の暴走に巻き込まれないようにします。
② 今この瞬間に意識を置く
思考は常に過去や未来に結びついて、いまから逃れようとします。
しかし、過去も未来も思考が作り出す概念にすぎず、存在するのは常に「いま」だけなのです。
過去の後悔や未来の物語から離れ、“いま”に戻るための最も簡単で確実な方法は、呼吸に意識を向けることです。
また、日常生活のあらゆる行動(食事、歩行など)を意識的に行うことも有効です。
「いま」という瞬間を完全に受け入れ、抵抗しないことが、時間の概念を捨て去る鍵です。
③ 感じる自分を信頼する
心を静め、無心状態になると、思考を超えた知性の世界にアクセスできます。
この静けさの中に現れる心の平安や愛、喜び、創造性こそが、本当の自分(大いなる存在)のエッセンスです。
私たちはインナーボディ(内なる身体)を通して、この大いなる存在に直接つながることができます。
身体の内側にある生命エネルギーに意識を集中させ、静けさの中に現れる感覚や直感を信頼することが、エゴの声ではない真の自己の声を聞くことにつながります。
「自分らしさ」とは、いまここにある“ありのまま”
「自分らしく生きたい」という願いは、思考やエゴが作り出した偽りの形からの解放を求める、さとりへの本能的な呼び声なのです。
私たちが探し求めている心の平安や大いなる存在の輝きは、世界が与えてくれるどんなものとも比較にならないほど素晴らしい宝物であり、すでに自分の中に眠っています。
いまに深く在るとき、恐れや不安は存在しません。
なぜなら、恐れは未来への思考が作り出す幻想であり、いまこの瞬間には問題が存在しないからです。
心の静けさ、沈黙と平和というありのままの自分に気づくこと。
これこそが、あなたが本来持っている真の自由であり、究極の自分らしさなのです。
「あなたが“いま”に気づくとき、あなたはすでに神とひとつである。」
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