さとり

さとりはゴールではなく“生き方”|得るのではなく手放す

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エックハルト・トールが説く「さとり」や「目覚め」は、多くの人がイメージするような、修行の末に到達する特別なゴールではありません。

「さとり」とは、特定の場所に到達したり、新しい能力を獲得したりすることではなく、すでに自分の中にある真の自己(大いなる存在)に気づくことです。

「さとり=到達点」という誤解

私たちは、人生のあらゆる目標を達成と同じように捉えがちです。

そのため、「いつか悟りたい」「悟った人になりたい」という発想が生まれます。
しかし、悟りを将来達成すべき目標として掲げることは、エゴの延長線上にある思考の罠です。

エゴは、悟りや自由といったものを価値ある所有物として手に入れ、それによって自分をより重要で大きな存在に見せようと試みます。

しかし、「悟りを得ようと努力する」ことは、未来に目を向けさせ、逆に「さとり」から遠ざけてしまいます。
なぜなら、悟りは未来にある到達点ではなく、常に「いま」この瞬間にしか存在しないからです。

トールが語る「目覚めはプロセスではなく気づき」

目覚めとは、特定の修行やプロセスを経て得られるものではなく、“いま気づく”ことそのものが目覚めです。

トールは、目覚めをプロセスとしてではなく、恩寵として始まると説明します。

目覚めとは、思考に飲み込まれて自分を見失うことがなくなり、思考の背後にある気づきそのものが自分であるとわかることです。

これは、「いまに在る」意識の状態であり、誰でも日常のささやかな瞬間に体験できるものです。

「得る」ではなく「手放す」ことから始まる

トールの教えにおいて、苦しみの原因は、自分の思考(マインド)を本当の自分だと信じ込むことにあります。
思考と一体化している状態こそが、幻の自己(エゴ)の活動です。

「手放す」とは、考えや感情を無理に抑圧することではなく、絶え間なく流れる思考やそれに伴う感情を客観的に観察することです。

「これは自分ではない」と気づき、それと自分を切り離すことで、思考は力を失います。この気づきそのものが、エゴからの解放です。

本当の変化は“何かを足す”ことではなく“余計なものを落とす”

本当の自己(大いなる存在)は、完全無欠な状態ですでにあなたの中にあります。

私たちが本来の自分とつながるのを妨げているのは、過去によって条件付けられた偽りの自分(エゴ)重荷です。

この重荷には、理想の自分像 や、「自分が正しい」という思い、誰かや何かに対する不満や恨み、他人との比較心 などが含まれます。
これらはすべて、エゴが自己を強化するために用いる思考の形です。

「さとり」とは、何か新しい概念や能力を獲得する努力ではなく、余分なものをそぎ落とし、本来の自分へと還る自然な流れです。

死が近づくと、所有という概念そのものがまったく無意味であることがわかるように、私たちは生きているうちに、形への同一化を手放すことで、すでに完全な自分に戻ることができるのです。

「手放す生き方」がもたらす静けさ

私たちの苦しみのほとんどは、すでにそうであるもの(今この瞬間)に対する拒絶や抵抗によって自分で作り出しています。
思考は物事を決めつけ、そのレッテル貼りが苦しみと不幸を生み出しています。

状況に抵抗しないということは、あきらめではなく、真の強さに裏打ちされた行為です。
いまこの瞬間を心から受け入れ、それに抵抗しないとき、内なる抵抗が消え、揺るぎない深い平和が訪れます。

この無抵抗の境地に至ったときに体験する平和は、外部の状況に左右されない、大いなる存在と一つになる喜びと静けさです。

頑張らずに生きるという新しい在り方

エゴが主導権を握っている状態では、私たちは恐れや欠乏感を原動力として、必死に努力しようとします。
しかし、この努力はしばしば裏目に出て、かえって大切なものを減少させたり弱めたりします。

「頑張らずに生きる」という新しい在り方は、「努力」よりも「気づき」いまに在る状態に研ぎ澄まされ、あるがままの「いま」に開かれた状態でいると、解決策や行動は自然に現れます。

それは、あなたが行動するのではなく、行動があなたを通じて起こる状態です。
この「いまに在る」意識から生まれた行動には、焦りや抵抗がありません。

さとりは日常の中で続いていく

「さとり」とは、特定の次元に到達して終わる一回限りの出来事ではありません。

時間に縛られた意識の状態は私たちに習性として埋め込まれているため、一度さとりを経験した後も、私たちは「いまに在る意識」と「無意識状態(思考との同一化)」の間を振り子のように行き来することになります。

自分が「いまにいない」と気づくこと、それ自体がすでに大きな進歩です。

この“気づいては忘れ、また気づく”という繰り返しの中で、意識は徐々に成熟していきます。
内なる平和は「作り出すもの」ではなく、「思い出すもの」であり、その平和は繰り返しの実践によって持続するようになります。

静けさの中で生きるという選択

瞑想や修行という特別な実践の時間だけでなく、日常のあらゆる行動が「いまに在る」ための入り口になります。
歩くとき、食事のとき、誰かと話すとき――こうした小さなことを意識的に行うのです。

日常のふとした瞬間に自分の呼吸に意識を向けることで、思考の流れにブレーキをかけ、「いま」へ戻ることができます。

内なる身体の感覚 や、周囲の沈黙や空間 に意識を向けることも、「いまに在る」ための手っ取り早い方法です。

あなたが「いまに在る」ことを選択するたびに、さとりは息づき、意識の成熟を支えるのです。

手放すことで“本当の自分”が現れる

トールの教えによれば、「さとり」は何かを獲得する努力ではなく、思考との同一化という余分なものをそぎ落とし、本来の自分へと還る自然な流れです。

真の自由は、思考や感情の雑音から解放された心の奥底にある静けさの中にあります。
この静けさこそが、名前や形を超えたあなたの本質(大いなる存在)なのです。

「あなたが何かを手放すたびに、あなたは少しずつ“本当の自分”になる。」

私たちが過去や未来の重荷を手放し、いまこの瞬間に完全に在るとき、私たちはすでに失われることがない永遠の生命そのものであることを知るのです。

さとりとは、この真実に目覚め、「ただ在る」ことなのです。

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