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どうしても許せない人がいて苦しいです。どうすれば解放されますか?

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どうしても許せない人がいます。
その人の言葉や行動を思い出すたびに、心の奥から怒りが込み上げてきます。

ときどき、「相手にも同じ苦しみを味わわせたい」と思ってしまうことがあります。
そんな自分にさらに自己嫌悪を感じ、心が苦しくなります。

この怒りや復讐心は、どうすれば手放すことができるのでしょうか。
許せないという思いを抱えたままでも、心の平和に近づくことはできるのでしょうか。

ご自身の内側に沸き起こる強い怒りや復讐心、そしてそれに対する自己嫌悪という複雑な苦しみについて、深くお察しいたします。

エックハルト・トールの教えは、まさにこの種の心の葛藤感情的な痛みからの解放に焦点を当てています。

この怒りや復讐心を「手放す」道、そして許せない思いを抱えたままでも「心の平和」に近づくための具体的なアプローチについて、トールの教えに基づき解説いたします。

許せない怒りの正体

思考とエゴが作り出す「怨恨」

あなたが抱えている強い怒りや復讐心は、過去の出来事に対する「思考」と「感情」が結びつき、凝り固まってしまった「怨恨(おんこん)」という感情エネルギーです。
この感情は、あなたの幻の自己(エゴ)の構造を維持するために利用されています。

怨恨は「古い荷物」であり、エゴの糧

あなたを苦しめているのは、過去に起こった出来事そのものではなく、その出来事に対してあなたが抱く怨恨だけです。
怨恨とは、しばしばはるか昔の出来事と結びついた激しい否定的感情です。

怨恨は、誰かが「私にしたこと」を強迫的に考え続けたり、頭の中で繰り返し物語ることによって、いつまでも生々しいままになります。
その思考は、あなたに「惨めな気分」や「なぜ人生はこんなにもむごたらしいのか」といったネガティブな考え、すなわち過去の苦しみを「いま」思い返し、感情的に反応させているのです。

怨恨は、まがいものの自己意識を強化し、エゴを温存する以外の役には立ちません。
あなたが「私は不当に扱われた被害者だ」という物語にしがみつくことで、エゴは対立した状態にあるという満足を得て、自己を強化しようとします。

復讐心と自己嫌悪の正体

「相手にも同じ苦しみを味わわせたい」という復讐心は、怨恨がさらに強力なエネルギーを充填された「反応」の一つの形です。

エゴは他者を敵と見なしたとき、最も強く存在できます
相手を非難したり、「間違っている」と決めつけたりすることで、エゴは自分が正しく優れていると感じ、倫理的に優越しているという感覚を得るのです。
復讐心は、この優位性を回復しようとするエゴの行動です。

怒りの感情の裏には、必ず痛みが隠されています。
怒りや復讐心といった感情的痛みは、「いまの思考」として蘇っており、それに反応しているから苦しいのです。

そして、「そんな自分に自己嫌悪を感じる」という思考もまた、あなたを苦しめる別の形の思考であり、エゴによる自己批判の一種です。
この自己嫌悪も、最終的には「思考を客観的に眺める」ことによって力を失います。

怒りや復讐心を手放すための実践

許しとは「真実を見抜く」こと

許せない思いを抱えたままでも心の平和に近づくことは可能です。
その鍵は、「許そうと努力する」「許せないという構造そのものを見抜く」 ことにあります。

抵抗をやめ、状況を「受け入れる」

強い怒りや痛みが湧いているとき、それを消そうと抵抗するのは逆効果です。
抵抗すればするほど、思考はそれにエネルギーを与えてしまいます。

許せない感情があるなら、「いま、この瞬間に、私はこの怒りを感じている」という事実を受け入れてください
感情を分類することではなく、どれだけ深く意識の表層部に登らせることができるかが大切です。

「すでにそうであるもの」に抵抗することほど無益なことはありません。
自分の人生をあるがままに受け入れ、人生を「イエス」と言って無条件に受け入れましょう
この「受け入れる」という行為は、消極的に見えますが、実は積極的で創造的な状態なのです。

思考と感情を「観察する」

怒りの感情は、思考の状態が体に映し出されたもの、つまり体の反応です。
この感情を客観視し、それに「気づきの光」を当てることが、解放への道です。

  1. 思考の声を観察する
    怒りや復讐心につながる思考が頭の中で始まったら、「できる限り思考の声に耳を傾ける」 練習をしてください。
    その声を批判せず、ただ「それを聞き、観察している本当の自分」に意識を向けます。
  2. 感情を体で感じる
    思考の物語に巻き込まれる代わりに、怒りのエネルギーが体の中でどう感じられているかに意識を集中させてください。
    体の内面にある感情を正面からまっすぐに見据え、「それを感じ取る」のです。
  3. 意識的な距離を置く
    感情を観察することは、感情を抑え込むこととは違います。
    感情を観察できるとき、あなたは感情の支配から解放され始めています
    怒りという感情エネルギーを意識の光に晒すと、そのエネルギーは消耗し、やがて意識へと変容していきます。

許しとは「真実」を見抜くこと

怨恨は、まがいものの自己意識を強化し、エゴを温存する以外の役には立たない、という真実に気づいた瞬間、変化は自動的に起こり、自然に「許す」ことができるのです。

地上での悪行の犯人は、たった一つしかありません。
それは「人類の無意識」です。
許せない相手の行動がエゴから発したものであり、人間の集団的な機能不全の表れだと理解できるとき、その行動が個人的なものではないとわかり、相手に反応しようという衝動は消えます。

許せない気持ちは思考の産物とも言えます。
思考は許すことができません
許すことができるのは、思考を超えた「本当の自分」だけ です。

許すことは弱さではなく、真の強さに裏打ちされた行為です。
許しとは、見過ごすことではなく、見抜くこと、すなわちエゴを通して、その人間の本質(本来の清らかな生命力)を見抜くこと です。

「いまに在る」ことが自由への鍵

心の平和は、未来の許しや復讐の達成によって訪れるものではなく、「いま」にしか存在しません

これからは逆に、「いまこの瞬間」に住み、物事を解決するのに必要な時だけ過去や未来を訪れる のです。

心の中に絶え間なく流れる思考の騒音は、大いなる存在と一つになって心の平安の境地に到達するのを妨げています
しかし、思考が静まり、「無心状態」が生まれると、あなたは心の平安を実感します。
この沈黙と平和こそが、あなたという存在のエッセンスです。

愛、喜び、平和は感情よりもさらに奥深い場所から湧き出るものであり、対極に位置するものが存在しないという永遠の質を持っています。
あなたが「いまに在る」ことで、この感情を超えた平和という贈り物 を世界に与えることができるのです。

許せない思いを抱えたままであっても、その思いをただ観察し、いまに在るという意識を保つ ことによって、怒りというネガティブな感情エネルギーは力を失い、心の平安という真の自分 が輝き出します。

許しとは、すべての不満や痛みを手放すことです。不平や不満が無益で、偽りの自分を強化するだけだと気づいた瞬間、変化は自動的に起こります。

エックハルト・トール

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