思考=自分ではない

頭の中の声は誰?止まらない思考を“自分”と思い込む仕組み

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私たちは日常的に、頭の中で絶え間なく続く「声」を聞いています。

それは、昨日あった出来事を反芻したり、未来に期待したり、あるいは自分自身を批判したりする、絶え間ない「思考の独り言」です。

エックハルト・トールは、この内なる声こそが、私たちの苦しみと不安の主要な原因であると説きます。

なぜなら、ほとんどの人はこの心の声を「本当の自分」だと信じ込んでおり、その結果、思考という「檻(おり)」の中で人生の大半を過ごしているからです。

しかし、この声の正体を見抜き、それと自分を同一視することをやめるだけで、私たちは静かな自由と本来の意識を取り戻すことができます。

頭の中で話し続ける「もう一人の自分」

目覚めてすぐ始まる“思考の独り言”

私たちの頭の中では、朝目覚めた瞬間から、あるいはそれ以前から、絶え間ない「独り言」や「内なる会話」が始まっています。

この思考の流れは、意見を述べたり、推測したり、比較したり、時には誰かや状況に対して文句を言ったりと、休みなく活動しています。

それはまるで、もう一人の自分が常に隣にいて、すべての出来事にコメントし続けているかのようです。

この思考の「声」の大きな特徴は、現在(いま)ではなく、過去や未来に結びついています。

思考は、過去の記憶に「アイデンティティ」を与え、未来に「救済の約束」を与えることで、自分の存在を保とうとします。

その結果、思考は過去という物差しを使って現在を判断し、現実を歪めてしまうのです。

「頭の中の声」は生き延びるための古いプログラム

そもそも思考力は、人間が生き延びる(サバイバル)ために備わった道具です。

思考の得意な役割は、情報を収集し、保管・分析し、他の思考に対する攻撃や防衛を行うことです。

したがって、この「頭の中の声」は、生命を維持する上では役立ちますが、その本質は「生存本能としての古いプログラム」にすぎません。

思考はこのプログラムを維持するために、常に過去や未来に依存し、生き延びようとします。

しかし、この道具であるはずの思考を「自分自身」だと誤解したとき、私たちは思考に使われてしまう状態、つまりしもべの状態に陥ってしまうのです。

その声は“自分”ではない

「内なる声」に同意した瞬間、苦しみが始まる

私たちが頭の中の思考を「これが自分だ」と信じ、思考と一体化する、この「自己同一化」こそが、最大の誤りとトールは指摘します。

この同一化の結果として、思考は不安や苦しみを抱える「偽りの自分」(幻の自己、エゴ)を作り出してしまうのです。

苦しみや不幸は、外側の出来事そのものによって引き起こされるわけではありません。

それは、思考が作り出す過去や未来という幻想の中にしか存在しないのです。
思考を本当の自分だと信じることによって、私たちは心の平安に到達する道を自ら閉ざしてしまいます。

頭の中の声は、あなたを評価し続ける

思考が生み出す「偽りの自分」(エゴ)は、常に自分の存在を保とうとするため、他人と比較したり、物事や自分自身を評価し続けたりします。

「私は正しい、他者は間違っている」という思い込みは、エゴを強化する最も典型的なパターンの一つです。

さらに、思考が暴走すると、それは「自分自身を攻撃する邪魔者」となり、多くの人が自分にとって最大の敵と共存している状態になります。

「自分の声」と「真の自己の声」の違いを見分ける

苦しみや不満を生み出す「自分の声」(思考)とは別に、私たちの内側の奥深には、真の自己が存在しています。

その本当の自分の本質とは、沈黙であり、平和です。
この沈黙と平和こそが、あなたの存在(Being)のエッセンスなのです。

思考活動が止まり、頭の中の騒音が静まったとき、普段は思考にかき消されている心の平安を実感します。

この静けさの奥深くからは、思考とは別の源泉から湧き上がる愛、喜び、創造性が感じられます。
これらは、感情という一時的な波を超えた、あなたの本質的な声、すなわち心の声なのです。

思考を止めるのではなく観察する

頭の中の声を観察する練習

思考の束縛から解放されるための第一歩は、「自分の思考は本当の自分ではない」という声に耳を傾けることです。

思考を無理に押さえつけたり、止めようとしたりする必要はありません。

なぜなら、思考を批判することも、また別の形の「思考の声」にすぎないからです。
大切なのは、ただ偏りのない心で、あなたの頭の中で流れている声を客観的に眺めることです。

「この声を聞いているのは誰か?」と問う

思考を観察し続けるうちに、あなたは不思議な事実に気づき始めます。

それは、「絶え間なく独り言をする声」と、「それを聞き、観察しているもう一人の自分」がいるという事実です。

この「観察している自分」こそが、思考とは別の、思考を超えた源泉から発せられる本当のあなたです。

この観察者の立場に立つことで、あなたは自分が思考そのものではなく、思考を気づいている意識であると認識し始めるのです。

思考を客観的に眺め始めたとき、あなたの意識は新たなレベルに到達します。
観察という意識の光が当たると、思考はパワーを失い、無駄な活動を減らし始めます。

思考と、それを見ているあなたとの間に「空間」が生まれるからです。
この瞬間、あなたは思考の流れに巻き込まれることなく、“声”の外に立ち、心の平安を実感します。

思考は主人ではなくなり、必要な時にのみ利用される有益な道具へと戻るのです。

頭の中の声の向こうに静かな意識がある

頭の中の声は、止める必要も、追い払う必要もありません。
思考は敵ではなく、必要なときには的確に役目を果たす道具です。

その声を「自分」だと思わず、ただ静かに観察しているとき、あなたはすでに気づきの中にいます。

静けさとは、声が消えることではなく、その声を静かに見ている意識そのものなのです。
思考を超えたこの意識に在るとき、あなたは深い喜び、愛、そして平和を体験します。


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