思考=自分ではない

「正しさ」への執着が争いを生む仕組み|「思考=自分」は錯覚

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私たちは、自分の意見や信念を誰かに否定されたとき、まるで自分自身が攻撃されたかのような強い不快感や怒りを覚えることがあります。

なぜ、自分の「考え」が、これほどまでに私たちの感情を揺さぶるのでしょうか?

エックハルト・トールは、争いや対立の根源は、「思考(心)が作り出した偽りの自分」、すなわちエゴにあると説きます。

特に、自分の見解や判断を「絶対的な正しさ」だと信じ込み、それに固執する思考の性質こそが、人間関係における摩擦や、さらには大規模な紛争に至るまで、あらゆる苦しみの原因となっています。

真の自己は思考を超えた静かな意識(大いなる存在)にあります。
私たちが思考との同一化を断ち切り、その支配から解放されることこそが、心の平和への道なのです。

思考が生み出す「自分が正しい」という強迫観念

自分の見解と「私」が混ざり合う錯覚

私たちの心の奥底で絶え間なく続く「思考の流れ」は、しばしば私たち自身だと誤解されます。
この誤解の結果、思考活動によって自分のアイデンティティを確立するという初歩的な誤りを犯してしまうとトールは指摘します。

この思考の流れ、すなわち「偽りの自己」(エゴ)は、成長するにつれて、自分の名前や所有物だけでなく、特定の視点、見解、判断といった精神的な立場にも自分を同一化していきます。

自分の思考を本当の自分だとみなすことは、本来私たちを助ける道具(思考)が、主人(私たち自身)を支配してしまっている状態です。

「正しさ」がなければ思考は自己を維持できない

思考が作り出したこの偽りの自己(エゴ)は、常にその存在を保ち、強化しようと努めます。
そして、「自分が正しい」という思いほど、エゴを強化するものはありません

「正しい」という立場は、特定の思考や判断と自分を同一化している状態を意味します。
その思考の立場を維持するためには、必ず誰かや状況を「間違っている」と決めつけなくてはならない のです。

言い換えれば、エゴにとって、自分という意識を支えるためには、他者の誤りが必要なのです。

「自分が正しく、相手が間違っている」という二元的な思考の構造が、エゴの自己認識を最もよく支えるパターンとなります。

思考による判断が現実を歪める

思考は、過去の経験や文化的な考え方に制約されながら、常に「過去という物差し」 を使って物事を判断します。

その結果、思考は現在の状況を過去の視点から眺め、判断を下し、現実をすっかり歪めてしまいます
思考は、レッテルや決めつけといった曇りガラスを通して世界を眺めることになり、その真の関係、すなわち万物との一体感に気づけなくなってしまう のです。

「対立」は思考の防衛反応である

批判を「自分への攻撃」と感じる仕組み

思考と完全に一体化している(思考を自分だと信じている)状態では、自分の見解や立場が批判されたり攻撃されたりすると、私たちはそれを「自分自身が脅かされている」と反射的に感じます。

エゴの関心は「真実」にあるのではなく、「自己保存」 にあります。
そのため、自分の思考を守ろうとして、すぐに自己正当化や反撃を始めようとします。
批判や侮辱によってエゴは「縮んだ」と感じ、すぐさまエゴ修復装置としての防衛行動に動き出す のです。

もし自分が少しでも自己防衛をしていると気づいたら、「私は一体、何を守ろうとしているのだろう?」と自問してみるべきです。
それは、偽りの自分、頭の中のイメージ、空想上の存在 ではないでしょうか。

優越感を求める思考のエネルギー

エゴは、自分を正当化し、優位性を確認しようとします。
誰かや状況に不満を言っているときも、暗黙のうちに「自分が正しくて、相手が間違っている」と想定し、倫理的に優越している という感覚を得ることで、エゴを強化しています。

誰かに優越感や劣等感を感じた場合、それはあなたの中のエゴが感じている のです。
このネガティブな反応は、あなたがいまこの瞬間に抵抗している という事実を示しています。

思考の争いによって「人間」が見えなくなる

「自分が正しく、相手が間違っている」という思考の罠にはまると、争いへと発展します。
対立する両陣営は、自分たちの見方、つまり思考に自分を同一化しているため、他者としての相手がどんどん拡大され、相手を人間としてではなく「敵」という概念で捉えるようになります。

その結果、対立相手が根源的な一つの生命を共有していることさえ見えなくなってしまう のです。

この「正邪の考え」は、平気で人を傷つけることを正当化し、人を狂気に陥れてしまう ほどの強力な機能不全なのです。

思考を超えた「気づき」が平和を呼び込む

思考から一歩離れて「観察者」になる

思考の束縛から解放されるための最初のステップは、「自分の思考は本当の自分ではない」 と気づくことです。
この気づきによって、あなたは思考を客観的に眺めることができる ようになります。

思考を客観的に眺め続けていると、あなたは「独り言をする声」 と、「それを聞き、観察している本当の自分」 がいることに気づき始めます。
この「本当の自分」の感覚こそが、思考とは別の、思考を超えた源泉 から発せられている純粋な意識 なのです。

思考を観察する際には、その内容を批判したり分析したりする必要はありません。
ただ、思考の動きを見張り、感情を感じ、リアクションを観察する、それだけで十分です

「いまに在る」ことで思考の抵抗を手放す

思考は常に過去や未来に依存して生きているため、「いまこの瞬間」には存在できません

争いや不幸の原因となるのは、「いまこの瞬間」を敵として扱い、「あるがままのいま」に反論している思考による抵抗です。

苦しみから解放される鍵は、「いまこの瞬間」をあるがままに受け入れることです。
思考による抵抗が消えると、不幸や怒りに満ちた偽りの自分は消え去り、心の平安 が得られます。

「いまに在る」意識こそが、思考との同一化を断ち切る触媒 なのです。

真の力は正しさを求めない静けさにある

「自分の思考は本当の自分ではない」と気づき、意識の「気づき」という光を思考に向けると、無意識のパターン(エゴ)は力を失い、自然に消え去ります。

思考が静まり、無心状態が生まれると、あなたは心の奥底にある静けさと平和を体験します。
この意識の状態は、思考や感情の次元を超えた大いなる存在 とのつながりです。

真の力は、自己防衛や正しさの主張ではなく、謙虚さ(エゴのない状態)の中に宿ります。
この思考を超えた静けさ(大いなる存在)をアイデンティティとするとき、あなたの行動は誰をも、どんな状況も敵に回すことはない、平和と調和に満ちたものになるのです。

思考の幻想を超えて普遍的な平和へ

頭の中で「私が正しい」と叫ぶ声は、あなた自身ではありません。
それは、過去の経験によって条件付けられた思考という道具が作り出す幻想です。

思考に抵抗せず、ただ観察することによって、その力は失われます。
あなたが、思考でも感情でもなく、すべてを包含する意識であることに気づくとき、心の奥底にある静寂と平和を体験できます。

「大いなる存在と一つであること、そしてこの状態を保つことこそが悟りなのです。」

エックハルト・トール

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