エゴ

被害者意識の正体 ― エゴがつくる「かわいそうな私」

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私たちは誰でも、人生で困難や不公平に直面し、傷つくことがあります。

その時、「私は被害者だ」「どうして私ばかりがこんな目に」という思考にとらわれるのは自然なことかもしれません。

しかし、エックハルト・トールは、この「かわいそうな私」という感情的な状態そのものが、実はあなたの心の平安を奪う「エゴ(幻の自己)」の巧妙な一形態であると指摘します。

被害者意識は、あなたが苦しみから抜け出すことを妨げる無意識のパターンであり、その仕組みを知ることが、真の自由への第一歩となります。

「かわいそうな私」もエゴの一形態

問題を手放せない理由

エゴとは、思考と自分を同一視することによって作られる「幻の自己」 のことです。
エゴは、自分を名前、所有物、社会的地位、そして物語といった様々な「形」と同一化することで、その存在を保とうとします。

このエゴが作り出す「偽りの自己」は、ポジティブな自己イメージ(「私は成功している」)だけでなく、ネガティブな自己意識(「私はダメだ」)も受け入れます。
そして、そのネガティブな自己イメージを維持するために演じられる役割が、被害者役です。

被害者役は非常にありふれた役割の一つであり、不満や侮辱された、立腹した、というような多くのエゴのパターンには、被害者意識の要素があります。

エゴは、アイデンティティの一部になった問題の終結を望みません
もし問題が解決してしまうと、それに同一化することで自己を確立していたエゴの「物語」が崩壊してしまうからです。

被害者意識の物語に自分を同一化してしまうと、その物語を終わらせたくないと思うようになるのです。
そうすることで、「人生や他人、運命、神に不公平な目に遭わされている自分」 というアイデンティティを守れるのです。
エゴにとっては、「何者かである」というイメージ を持つことだけが大事なのです。

被害者意識と役割演技

エゴは、そのニーズを満たすために、意識せず何らかの役割を演じてみせるのが普通です。
被害者意識は、エゴが自己を保とうとして演じる役割演技の一つです。

役割の演技

役割とは、心が作り出したイメージ、すなわち偽りの自己意識です。
その役割を通じてものを見ると、すべてが個人的に感じられ、思考によって歪められます。

無意識の合意

私たちは通常、自分が役割を演じているとはまったく気づかず、役割になりきっています。
被害者役を演じると、その役割を通して「私はこういう立場の人間だから、こう振る舞わなければならない」という思考が生まれます。

被害者役を通じて自分を保とうとする無意識のしくみ

ネガティブな関心を糧にするエゴの欲求

エゴは、自分自身の中にすべてのエネルギーの源があることを知らないため、エネルギーを外に求める傾向があります。

エゴは、承認や賞賛、賛美、とにかく注目され存在を認めてもらうという、何らかの「形を持った関心」を糧にして肥え太ります。

ポジティブな関心が得られない場合、エゴは代わりに誰かを挑発してネガティブな反応を引き出し、ネガティブな関心を得ようとします。

被害者役は、同情や憐れみ、そして「自分の問題」や「私と私の物語」への興味という形で関心を求めます。
こうして、他人の同情や憐れみという心理的なエネルギーを吸い上げ、エゴの存在を強化しようとするのです。

問題の終結を望まない思考の罠

被害者意識の構造を支えているのは、古い考えと感情という「お荷物」です。
このお荷物にしがみつく思考の仕組みが、苦痛を永続させます。

怨恨の執着

恨みや不満といったネガティブな感情が強くなると怨恨となります。
怨恨は、はるか昔の出来事と結びついた激しい否定的感情であり、思考がそれを強迫的に考え続けることで、いつまでも生々しいままになります。

思考の悪循環

被害者意識を持つとき、頭の中の声は、あなた自身や人生、他人について、悲しく、不安で、怒りに満ちた物語を語り出します。
あなたはそのゆがんだ考えをすべて信じてしまい、ネガティブな思考の流れを止めたいとは思わなくなります。
なぜなら、その痛みがエゴの糧となり、あなたの「不幸依存症」 を満たしているからです。

解放は真実の認識

怨恨は、まがいものの自己意識を強化し、エゴを温存する以外の役には立ちません。
このことに気づいた時、その怨恨は無益で偽りの自分を強化するだけだと認識すれば、変化は自動的に起こり、自然に「許す」ことができるのです。
真実を見抜けば、解放されるのです。

被害者という役割を超えて「いま」に在る

あなたを苦しめているのは、過去の出来事そのものではなく、その出来事にしがみつき、「かわいそうな自分」という物語を演じ続ける思考の声です。

被害者意識という幻想から解放されるには、その役割を演じるのをやめ、思考と一体化することを断ち切る 必要があります。
怒りや不満、自己憐憫の感情が湧いたとき、「これは私自身ではなく、エゴが反応しているのだ」と気づき、ただ観察することです。

すべての苦しみは思考の中に、そして過去や未来にのみ存在しています
あなたの人生が真に展開するのは、「いまこの瞬間」しかありません。

思考という幻想から自由になり、その瞬間を完全に受け入れるとき、あなたは被害者という役割を超えた「純粋な意識」へと立ち返り、心の平安という真の富を手に入れます。

「苦しみは、今を生きていないときに生まれる」

エックハルト・トール

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