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思考とはそんなに悪いものなのでしょうか?

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思考とはそんなに悪いものなのでしょうか?
私たちは子どものころから親などに「よく考えなさい」と教えられてきたし、大人になってからも「思考停止するな」「もっと自分で考えろ」と言われながら生きています。
考えることを止めたら、何もできなくなってしまいそうで戸惑います。

「思考とはそんなに悪いものなのか」という疑問は、エックハルト・トールの教えを理解する上で非常に重要であり、多くの人が抱く自然な疑問です。

結論から言えば、トールは思考そのものを否定しているのではなく、思考と自分を同一化すること、そしてそれによって生じる思考の機能不全が問題であると説いています。
思考は、本来、非常に優れた道具なのです。

この記事では、思考の位置づけと、なぜ思考が苦しみにつながる可能性があるのかを解説します。

思考は本来「優れた道具」である

トールは、思考力自体は、現実世界で目的を達成するために不可欠な道具であると認めています。

実用的な目的

私たちは、社会で責任を果たすために、思考力と知識の貯蔵庫を持っています。

未来のために具体的な計画を立てることや、過去の失敗を活かし危険回避することなどは、現実的な生活のために必要不可欠です。

思考は、私たちが世界に知識や情報を生み出し、実用的な目的を果たす助けとなります。

思考が「悪いもの」(機能不全)になる場合

思考が問題となるのは、それが「主人」になりすまし、あなたが「しもべ」になっている状態です。

この状態をトール氏は思考の機能不全と呼びます。

思考と自己(アイデンティティ)の同一化

私たちが「よく考えなさい」という教育を受け、「思考停止するな」という圧力にさらされるのは、思考活動によって自分を定義する社会的な習慣に基づいています。

しかし、これが機能不全の出発点です。

無意識状態の出発点

思考を本当の自分だとみなすと、思考は機能不全になり、エゴ的性質を帯びて私たちの人生を台無しにしてしまいます。

これが、無意識状態のそもそもの出発点です。

「偽りの自分」の創造

思考が支配的になると、大いなる存在に根ざしていない「偽の自分」(エゴ)を作り出してしまいます。

エゴは、思考を本当の自分だと錯覚しているため、その思考が否定されると消滅の危機を感じ、議論で絶対に負けられないという強い衝動に駆られます。

心理的時間の罠

思考が主人になると、「いまこの瞬間」を嫌い、常に過去と未来という時間の概念なしには機能できなくなります。

思考と一体化することは時間の罠にはまることであり、苦しみを増すばかりです。

思考は、私たちが教えられてきたような「論理的に考える」という建設的な活動ばかりを行うわけではありません。

絶え間ない雑音

思考は、「意見をする」「推測する」「判断を下す」「比較をする」「文句を言う」「好き嫌いを言う」といったことを休みなく行っています。

この思考活動は、しばしば「狂気」と呼べるような強力な要素を含んでおり、ヒンドゥー教ではマーヤ(妄想のヴェール)、ブッダはドゥッカ(苦)を生み出すと見抜きました。

これから起こるであろう状況をリハーサルし、大抵は「何かよからぬことが起こるのではないか」という悲観的な見方をします。

これが「不安」の正体です。思考が作り出す問題は時間がなければ存在できません。

「思考停止するな」に対するトールの考え

あなたが直面する「よく考えなさい」「思考停止するな」という社会的・教育的な要求は、思考力という道具を適切に使いこなすことの重要性を示しています。

トール氏は、この能力を損なうことはないと説いています。

能力の向上

思考を観察し、「いまに在る」ことができるようになれば、時間を必要とする時にその能力が損なわれるどころか、むしろその能力が高められます。

大いなる存在の英知は人間の頭脳をはるかに超えており、インナーボディに根を下ろしている人には、大いなる存在からの指示が発せられます。

トールの教えでは、目指すのは思考を「止めようと努力する」ことではなく、「思考を客観的に眺める」ことです。

思考を観察できるようになると、思考の奥にある「じっとして動かない存在」に気づき、「高次の意識」が活動し始めます。

「考える」のではなく「気づく」

思考と一つになることは、時間の罠にはまり、記憶・期待・不安だけを糧にして人生を送ることになります。

しかし、思考に引きずり回されずに、思考をあるがままに放っておくことができれば、思考力そのものは機能不全なわけではありません。

したがって、「思考停止するな」というアドバイスの裏には、無意識な状態でいるなというメッセージが隠れていると解釈できます。

トールは、無意識的な思考の流れに支配されてしまうことこそを問題視しており、意識的に思考を道具として使える状態へとシフトすることを教えているのです。

自由への第一歩は、「自分の思考は本当の自分ではない」と気づくことから始まります。

その気づきによって、私たちは思考の主人である「気づきそのもの」(意識)へと戻っていくことができるのです。

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