私たちは人生の中で、誰かを傷つけたり、失敗を犯したりして、深い罪悪感や後悔に苛まれることがあります。
この心の痛みこそが、私たちが幸せでいられることを阻む大きな障害となります。
エックハルト・トールの教えによれば、この苦しみの多くは外側の出来事ではなく、私たちの「思考」の働きによって自ら作り出されているものです。
罪悪感の鎖から自由になる鍵は、過去を変えることではなく、「いま、ここ」に意識を戻すことなのです。
「あの時こうすればよかった」と思うのは自然なこと
過去を思い出すのは悪いことではない
人は誰でも過去の出来事を振り返り、そこから教訓を得ようとします。
過去の経験から学び、二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることは、時計時間(実用的な時間)の使い方として健全な行為です。
しかし、問題は、その過去の出来事や感情的な記憶に何度も浸り、とらわれ続けることです。
思考が過去に関する思考に完全に支配され、それが重荷に変わったとき、それは「いま」を浪費しているにすぎません。
自分を責める声は“思考”であって“真実”ではない
罪悪感や後悔の苦しみを生み出しているのは、出来事そのものではなく、その出来事についての思考です。
頭の中で「私が悪い人間だ」「あの時なぜあんなことをしてしまったんだ」と語り続ける声こそが、苦しみを維持しています。
出来事は体には苦痛をもたらすことはあっても、人間を不幸にするパワーはありません。
人間を不幸にしているのは、他でもない自分自身の思考なのです。
過去は今この瞬間にしか存在しない
トールの視点では、過去はもはや存在していません。
過去は思考の中にイメージとして残っているだけなのです。
私たちが過去の苦しみやトラウマを覚えているのは、それを「いま」思い返し、感情的に反応しているからです。
本当に存在するのは「いまこの瞬間」だけであり、人生が「いまこの瞬間でなかった時」など、かつてあったことはありません。
思考が過去を再生し続けることで、苦しみはいまも続いているのです。
罪悪感の正体 ― エゴが作り出す「偽りの責任感」
エゴは「悪い自分」という物語を好む
エゴとは、思考と自分を同一視することで生まれる「偽りの自己」(幻の自己)です。
エゴはアイデンティティ(自己認識)を作ろうとする戦略の一つとして罪悪感を抱きます。
エゴにとって、自己認識がポジティブであろうとネガティブであろうと、実はどちらでもいいのです。
自分を責め、「私は悪い人間だ」というネガティブな物語を作り上げることで、エゴは“自分という物語”を強化し続けるのです。
「私は悪い人間だ」という思考の構造
私たちは、過去の行動を無意識状態の表出にすぎなかったと考えることができます。
しかし、エゴはそれを個人的なものとして捉え、「私(エゴ)がこうしたのだ」と考えます。
この思考の構造によって、行動と自分の価値が結びつけられ、「私は悪い人間だ」という自己イメージが形成されてしまうのです。
エゴは、自分を「思考や感情、経験」といった形(コンテンツ)によって定義しようとします。
罪悪感は反省ではなく自己同一化の一形態
罪悪感とは、過去の行動や失敗に精神的に浸りきって、批判や後悔の念で自分を責め続けている状態です。
これはエゴの戦略にすぎず、停滞を生みます。
もし、そのときに気づき、高い意識レベルを持っていたなら、あなたはもっと別な行動を取っていたでしょう。
個人的な失敗として捉え続けるのは、思考(エゴ)との自己同一化の一形態にすぎません。
過去を変えようとするほど苦しくなる
思考は「もし〜していれば」と物語を作る
思考は常に、「もしあの時、違う選択をしていたら」という物語を作り出します。
その物語を信じ、そこに感情的に反応するたびに、あなたは過去の感情的な記憶に閉じ込められていきます。
苦しみの本質は出来事ではなく、思考の機能障害である「過去へのしがみつき」にあります。
「過去を直そう」とするのは心理的時間の罠
トールが説く「心理的時間」とは、過去や未来をアイデンティティに使ってしまい、いまという瞬間と調和せずに生きる心の状態です。
罪悪感によって「過去を直そう」とすることは、心理的時間の罠です。
思考は、「救済は未来に訪れる」と約束しますが、その思考が続く限り、人は永遠に後悔の念を繰り返し、いまを失い続けます。
現実を受け入れたとき、過去は力を失う
私たちを苦しめているのは、滅びゆく肉体や、明日の支払いが問題なのではありません。
「いま」を失うことこそが問題なのです。
真の癒しは、過去の出来事を否定するのではなく、「起きたことを否定しない」、すなわち今という瞬間を無条件に受け入れることから始まります。
すでにそうであるものに抵抗しないとき、内なる闘争が止まり、人生は追い風に変わるのを体験するでしょう。
自分を責める思考を手放す3つのステップ
過去へのとらわれから自由になるには、「いまに在る力」を使う必要があります。
思考に気づく
自分を責めている“声”に気づくことからすべてが始まります。
思考を止めようとするのではなく、頭の中の声を客観的に観察し、「これは自分の思考だ」と認識するだけで、あなたは思考から一歩距離を取ることができます。
気づきとエゴは共存できないため、思考を観察した瞬間、あなたはすでにその思考の支配から解放され始めているのです。
優しい視点で自分を見る
過去の行動は、その時の無意識状態、すなわち当時の意識レベルに応じた行動にすぎなかったと認識することです。
その行動が個人的な失敗ではなく、「人類の集合的な機能不全の表出」にすぎないと理解するのです。
自分自身の過失として個人的に捉えることを控え、過去の自分を責めない優しい視点を持つことで、エゴの自己批判の戦略を打ち破ることができます。
今この瞬間に戻る
呼吸や身体の感覚を感じることで、過去から意識を切り離しましょう。
思考が過去や未来へ逃げようとするのを観察し、直ちに「いま、ここ」に意識を戻す練習をします。
呼吸に意識を向けることは、思考の流れにブレーキをかける最もシンプルでパワフルな方法です。
また、体の内側にある生命エネルギー(インナーボディ)に意識を集中させることも、「いま」に戻るための確かなアンカーとなります。
赦し(ゆるし)とは“もうそれを引きずらない”という選択
トールが説く「赦し」とは、出来事を無かったことにすることではありません。
それは、過去の出来事や、他者・自分自身の無意識的な行動に対し、抵抗を放棄することです。
「赦し」とは、見過ごすことではなく、見抜くことです。
それは、自分や他者のエゴ(偽りの自己)を通して、その奥にある人間の本質(大いなる存在)「いまに在る力」“いま”を取り戻すのです。
自分を赦すとき、他人も赦せる
自分を赦すことは、自己批判の鎖から解放されることを意味します。
自分への優しさ(セルフ・コンパッション)と理解が深まると、自然に他者への理解にも広がっていきます。
相手がエゴにとらわれ、あなたを傷つける行動を取ったとき、それが相手の幻の自己によるものだと気づいて受け止めることができると、あなたはもはや相手を敵と見なさなくなります。
相手のエゴを見抜いたとき、敵だとみなしていた相手を許しているはずです。
赦しの中に生まれる静けさと自由
罪悪感はエゴの策略であり、ネガティブな感情(抵抗)から生まれています。
赦しを通して抵抗を手放すことで、心はエゴの支配から解放され、完全に自由になります。
心の奥底にある静けさと平和は、外側の状況に依存せず、大いなる存在とつながっている状態から湧き上がるあなたの本質です。
罪悪感を手放したとき、心は本来の平和な状態へと戻っていくのです。
あなたは「間違った存在」ではない
過去の出来事は、あなたが一時的に無意識の状態で行動した結果にすぎません。
過去の出来事が、「いまに在る」意識であるあなたの本質を定義することはありません。
思考がつくった罪悪感という幻想を手放し、「いまに在る」本来の自分に還るのです。
「許すとは、見過ごすことではなく、見抜くことである。エゴを通して、その人間の本質──勝機(本来の清らかな生命力)──を見抜くことだ。」
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