私たちは人生の中で、不安や後悔、怒りといった絶え間ない苦しみに悩まされます。
エックハルト・トールの教えは、この苦しみの多くは外側の出来事ではなく、自分自身の「思考」が作り出しているものだと説きます。
苦しみが消える瞬間は、特別な修行の末に訪れるのではなく、思考が静まり、私たちが「いま、ここ」に完全に気づいたときに訪れるのです。
苦しみは「思考」とともに生まれる
「今ではない場所」にいるとき、苦しみが生まれる
私たちの心は、めったに「いま」に留まることがありません。
思考は常に過去の後悔や未来の不安という時間の概念を行き来しています。
思考が「いまこの瞬間」を嫌っているので、私たちはいつも「今ではない場所」へと逃げようとするのです。
しかし、苦しみや不快感、不安といったネガティブ性は、すべて「あまりにもたくさんの未来」や「あまりにも多くの過去」といった心理的時間に囚われることと、「いま」を否定することに根を持っています。
思考が作り出す物語に囚われる仕組み
人生で起こる出来事自体は、人間を不幸にするパワーを持っていません。
苦しみを生み出しているのは、出来事に対する「解釈」や「レッテル張り」といった思考の物語です。
私たちはこの思考が作り出す物語を「本当の自分」だと信じ込んでしまい、思考に心をとりつかれている状態になります。
この思考との同一化こそが、苦しみの主要な原因なのです。
思考が織りなす「問題」は、時間がなければ存在できません。
問題とは思考の産物なのです。
「心を静める」とは、思考を止めようとすることではない
思考の流れが止まらず、頭の中の雑音に苦しんでいるとき、私たちはその思考を「何とかして止めよう」と努力しがちです。
しかし、思考が作り出す問題を、思考のレベルで解決することはできません。
思考を無理に止めようとすることは、かえって抵抗を生み出します。
自由への第一歩は、「自分の思考は本当の自分ではない」と気づくことから始まります。
思考が静まるとき、苦しみも静まる
思考のない瞬間に訪れる深い安らぎ
思考活動がぴたりと止まり、心が空っぽの無心状態にあるとき、私たちはいつでも愛や喜び、そして心の平安を瞬間的に体験します。
息をのむような美しさに触れたときや、空港のカウンターで順番待ちをしていたときなど、人生の中で誰でも何らかの形で、思考活動のない「在るという状態」を経験しているはずです。
この状態にあるとき、あなたの細胞の1つ1つが生き生きと脈打っています。
内側の空間に気づく練習
私たちの心は絶え間ない思考でいっぱいですが、その思考と思考の間には「空間」が存在しています。
沈黙や空間を意識しているとき、思考活動をすることはできません。
この空間に気づくための最もシンプルで確実な方法の一つが、自分の呼吸に意識を向けることです。
呼吸に集中することで、思考から関心を引き離し、心の中に静けさを生み出すことができます。
「止める」ではなく「見守る」ことで思考が止まる
思考をコントロールしようとするのではなく、客観的な観察者の視点を持つことで、思考は自然に静まり始めます。
思考を客観的に眺めると、「高次の意識」が活動し始め、思考をはるかに超えた果てしない知性の世界が存在することに気づきます。
もし苦しい感情や思考が湧いてきたら、それを「あるがままに放っておく」のです。
抵抗せずに痛みを見守るなら、痛みと自分の間にまるでスペースができるような微妙な感覚に気づくでしょう。
この観察によって、意識の光が思考に当たり、無意識のパターンは消え去ります。
気づきが現れる瞬間に「存在」が立ち上がる
「私はこの思考ではない」と知る瞬間
自分が思考と一体化していることに気づく瞬間、あなたはすでに思考の支配から解放され始めています。
「自分の思考は本当の自分ではない」と気づき、思考を客観的に眺めることができるようになると、意識は思考の外へと移行します。
この意識こそが、思考や感情、肉体を超えた本当の自分の本質(大いなる存在)です。
思考や感情が消え去ったときに残るのは、深い平和、愛、喜びに満ちた意識そのものなのです。
苦しみを消す方法は、苦しみを見つめること
苦しみは「いま」の中では生き延びることができません。
なぜなら、苦しみは「いま」に対する抵抗という思考によって維持されているからです。
過去の痛みの塊であるペインボディ(感情的な苦しみのエネルギー体)を溶かす唯一の方法は、しっかりと「いまに在る」ことです。
湧き上がる苦しみや痛みを否定したり逃げたりせず、ただ観察し、あるがままに受け入れることで、痛みは溶け出し、解放されていきます。
苦しみを消そうとするのではなく、苦しみに意識の光を当てて見つめることが、真の解放の道なのです。
「存在」として生きるとき、問題は問題でなくなる
「いま」に完全に意識を集中させていれば、問題を抱えることなどできません。
なぜなら、問題とは思考が作り出す幻であり、「いま」という現実の前にはシャボン玉のように消えてしまうからです。
あなたが、偽りの自分(エゴ)や思考との同一化をやめ、「大いなる存在」をアイデンティティとして生きるとき、あなたはすでに完全無欠な状態にあることに気づきます。
この意識で生きるとき、人生で起こる状況は「問題」ではなく、ただ「いま取り組むべき人生の状況」として見なされるようになり、問題は問題ではなくなるのです。
思考が静まるところに、本当の自由がある
苦しみは、思考が「私」という物語を語り続けるときに現れます。
しかし、その思考をただ見つめる静かな気づきが現れた瞬間、苦しみはあなたを離れます。
問題を解決することではなく、「気づいていること」こそが、真の解放の道なのです。
思考が静まり、心の静寂が訪れるとき、あなたは本来の平和な自分、すなわち大いなる存在へと還ります。
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