エックハルト・トールが説く教えの核心は、「普段『自分』だと思っている頭の中の声や思考こそが、実は本当の自分ではない」という洞察にあります。
この「偽りの自分」こそがエゴ(自我)であり、私たちの苦しみや不安のほとんどを生み出す張本人です。
エゴとは、思考と自分を同一視することによって作られた「精神的な構築物」(幻の自己)です。
本当の私たちは、名前や形を超えた生命そのものの意識なのですが、このエゴがその真のアイデンティティを覆い隠してしまっているのです。
エゴの誕生と仕組み
自己と「モノ」の同一化からエゴは始まる
エゴ、すなわち「幻の自己」は、私たちが人生の中で「何か」と自分を同一化することによって作られていきます。
この同一化のプロセスは、まず私たちが幼い頃に「名前」を自分だと認識することから始まります。
まもなく、「私」という言葉を覚え、この言葉が「物に対する思考」と混ざり合うことで、「私のモノ」という所有の概念が生まれます。
所有による同一化
「私のおもちゃが壊れた」と感じて泣くとき、その悲しみはおもちゃ自体の価値から来ているのではなく、「私のもの」という考えから来ています。
エゴは所有の概念を通じて拡大していきます。
私たちは、モノの中に自分自身を見いだそうとしますが、モノによる満足は長く続かないため、さらに多くを求め、消費を続けることになります。
思考がつくる「精神的構築物」
成長するにつれて、「私」という思考はさらに様々な「形」と結びついていきます。
ここでいう「形」とは、物質的なものだけでなく、思考や概念も含みます。
性別、持ち物、職業、好き嫌い、正しさ/間違い、社会的地位など、見えるもの見えないものすべてがアイデンティティの要素となっていきます。
思考そのものが、物質よりも微妙で密度は薄いものの、形になったエネルギーの一種です。
エゴは、意識の場に絶えず生じるこの「思考の形」に自分を同一化することで、自分自身を見失うのです。
私たちが一般的に「私」と言うとき、その主体はしばしば、この過程で作られた精神的な構築物、すなわち幻の自己(エゴ)なのです。
「同一化」と「分離」が生み出す苦しみ
エゴが生き残るための構造は、「同一化」と「分離」という二つの要素に基づいています。
- 同一化
エゴは常に何らかの形(思考、見解、所有物など)と自分を同一化します。 - 分離
エゴが何かと同一化するときは、まず先に「自分が分離していないと同一化する」ことができません。つまり、エゴは「私」と「それ以外(分離した他者・世界)」という二元論の世界に生きているのです。
この分離の感覚と、「私は不十分だ」「私は欠けている」という根強い欠乏感が、エゴ的思考の最も大きな特徴です。
この穴を埋めるために、人はお金、成功、権力、快楽などの欲望にのめり込みますが、その穴は決して埋まりません。
エゴの特徴:なぜエゴは私たちを不安にさせるのか
常に正しいと主張する
エゴが強化される最も典型的なパターンの一つが、「自分が正しい」という思い込みです。
- 自己認識の維持
「正しい」とは、特定の精神的な立場、見解、判断などと自分を同一化している状態です。
エゴは、自分が正しいと思うために、必ず誰かや状況を「間違っている」と決めつけます。 - 防衛
自分の見解に反対されると、エゴはそれを「自分自身が信じてもらえない」と感じ、防衛しようとします。その防衛が強い場合、怒りが生じることもあります。
この「自分が正しく、相手が間違っている」という思考は、個人間の摩擦だけでなく、国家間や宗教間の狂気じみた争いの原因となり、人を傷つけることを平気で正当化してしまいます。
時間に依存し「いま」から逃げる
エゴは常に過去の記憶や未来の予測に依存することで生き延びています。
過去の記憶をもとに「私はこういう人間だ」と定義し(アイデンティティ)、未来に「これを手に入れれば幸せになれる」と期待や不安を投影します。
エゴにとって、いまこの瞬間はほとんど価値がありません。
エゴは現在を「未来のゴールに到達するための通過点」と捉え、その価値を著しく損ねています。
未来に焦点を当て、「いま」から目をそらしていることこそが、恐れや不安の原因です。
いまに問題は存在しませんが、思考が未来の状況をイメージすることで恐れを作り出しているのです。
他者の関心を糧にする
エゴは他者の関心、すなわちある種の心理的なエネルギーを糧にして肥大化します。
エゴは、承認、賞賛、賛美、注目という「形を持った関心」を求めます。
ポジティブな関心が得られないと、代わりに誰かを挑発してネガティブな反応を引き出し、関心を得ようとすることもあります(例:悪人役、被害者役)。
また、エゴは常に比較の中に生きており、「他人にどう見られているか」によって「自分が何者か」を決めます。
他人より多くを知っている、あるいは優位に立つことで得られる優越感は、エゴを強化する重要な要素です。
エゴの支配から自由になるための「気づき」
思考の「しもべ」から「主人」へ
自分の思考を本当の自分だとみなすことは、大きな錯覚です。
それは、本来使われるはずの道具(思考)が、主人(私たち自身)を支配してしまっている状態です。
しかし、思考の問題は思考のレベルでは解決できません。
思考をコントロールしようとすれば、それはさらに多くの思考を生むだけだからです。
自由への第一歩は、「自分の思考は本当の自分ではない」と気づくことから始まります。
エゴに「気づきの光」を当てる
エゴは無意識です。
したがって、気づきとエゴは共存できません。
エゴの強迫的な思考パターン(「私はあれをしなければならない」「私はこうでなくてはならない」など)に気づき、それを客観的に眺めることで、その同一化は完全ではなくなります。
思考を客観的に眺めることを続けると、「独り言をする声」と「それを聞き、観察している本当の自分」がいることに気づきます。
この「気づいている私」こそが、思考を超えた真の自分、すなわち意識(大いなる存在)なのです。
意識の光に照らされると、無意識のパターン(エゴ)は力を失い、自然に消えていきます。
「いまに在る」ことでエゴを乗り越える
エゴは時間(過去と未来)によって生きているため、「いま」という瞬間には存在できません。
「いまに在る」意識こそが、エゴという幻想から目覚め、心の平安に到達するための鍵です。
「いまに在る」ことによって、私たちはすでに完全無欠であると気づくのです。
すると、「もっと多くを求める」「誰かになろうとする」というエゴの衝動は消え、失敗への恐れもなくなります。
エゴを乗り越えること、すなわち「偽りの自己を脱ぎ捨てること」こそが、苦しみと不安から解放される真の自由なのです。
思考は敵ではなく、単なるツールです。
それに気づかないとき、私たちは思考に支配されます。
しかし、「気づいている私」として思考を見つめるとき、静かな自由が現れます。
思考は去り、存在だけが残る――そこに、苦しみのない「本当の私」がいます。
「私がここで説明していることは、頭で理解できる類いのものではありません。これを把握した瞬間、思考から「在ること」へ、時間の世界から「いま」へと意識の変化が起こります。」
エックハルト・トール
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