エックハルト・トールの教えの中心にあるのは、私たちが普段「私自身」だと信じている頭の中の絶え間ない思考は、実は私たちの本当の自己ではないという真実です。
思考は人間にとって最高の道具となり得ますが、その思考を自分自身と誤解し、思考の流れに飲み込まれている状態こそが、すべての苦しみや不安の根源にあるとトールは説きます。
私たちは思考をコントロールしようとしがちですが、それは無益な抵抗です。
真の自由への第一歩は、思考と戦うことではなく、ただそれを客観的に観察することによって、思考の束縛から抜け出すことなのです。
思考は自分の意志で生まれているわけではない
「考えすぎ」をやめられないのは自然なこと
私たちは、頭の中で絶え間なく続く「独り言」や「内なる会話」を経験していますが, 自分の意志でこの思考の流れを完全にストップさせることはできません。
ほとんどの人はこの性質を持っているため、この終わりのない思考の騒音が「ごく当たり前のこと」だと錯覚し、感覚が麻痺してしまっています。
しかし、このコントロールできない思考の暴走こそが、心の平安(沈黙)に到達することを妨げており、不安や苦しみを抱える「偽の自分」(エゴ的アイデンティティ)をでっち上げてしまうのです。
思考は雲のように現れ、やがて消えていく
思考とは、外側のモノ(形)よりも微妙で密度は薄いものの、「形になったエネルギー」であり、一時的な形で現れては消えていくものです。
思考は、過去に経験した出来事や記憶、未来への予測に常に結びついており、今この瞬間に留まることはめったにありません。
思考は、あなたの意識の場に絶えず生じる「思考の形」であり、そのほとんどは強迫的で絶え間ない流れです。
思考は意識の中に“起こる”現象にすぎない
思考活動は、意識活動の中の一つの側面にすぎません。
意識なくしては思考は生まれませんが、意識は存在するために思考を必要としません。
私たちは、自分自身が人生の出来事すべてを包含する「意識」または「気づき」そのものであるにもかかわらず、「思考が作る小さな私」が自分だと信じ込んでいます。
思考は、私たちが人生で知覚し、体験し、考え、感じている対象であり、それは突き詰めてみれば私たち自身ではない。
思考は、意識という内なるスペースの中に起こる現象にすぎないのです。
思考をコントロールしようとすると苦しみが増す
「思考を止めたい」と思うこともまた思考
思考の暴走を止めようと、私たちは「考えすぎをやめたい」と願うかもしれません。
しかし、思考を批判したり分析したりする行為そのものも、応戦という形の「思考の声」に変わりありません。
エゴ的思考は、知る、理解する、コントロールすることを目的としていますが、思考をコントロールしようとする試みは、さらに多くの思考を生み出すだけであり、思考のレベルで思考の問題を解決することはできません。
抵抗のエネルギーが思考を強めてしまう
私たちの苦しみや不幸のほとんどは、思考が作り出すものであり、その原因は「すでにそうであるもの」に対する拒絶や抵抗にあります。
いまこの瞬間を障害や敵として扱い、「こうあるべきだ」「こうすべきではない」といった心の声が満ちているとき、あなたは人生そのものを敵に回しているのと同じです。
思考による抵抗のエネルギーはネガティブ性を生み出し、思考の力やエゴの自己認識を強化してしまいます。
苦しみから解放されるための鍵は、まず「いまこの瞬間」をあるがままに受け入れることです。
思考がどんな具合に物事にレッテルを貼っているかをよく観察し、そのレッテル貼りが苦しみと不幸を生み出している原因であることに気づきましょう。
自分の「いま」と「ここ」を変える術がなく、状況から離れることもできないなら、「ここへの抵抗」をやめることです。
受け入れの中では、思考の抵抗が消えるため、不幸で怒りに満ちた偽の自分は消え去ります。
これが「とらわれを捨てること」であり、心の葛藤を解消します。
思考の動きを観察する ― “気づき”という静かな空間
思考を変えようとせず、ただ「見ている」だけでよい
思考の束縛から解放されるための最初のステップは、「できる限り思考の声に耳を傾けること」です。
無理に止めようとしたり、振り回されたりせず、ただ聞くだけです。
何度も繰り返されるセリフ、つまり「古いレコード」に特に注意を払いましょう。
この声を聞く時には、あれこれ批判したり、分析したり、評価を下したりせず、偏りのない心で行いましょう。
批判もまた応戦という形の「思考の声」に変わりないからです。
思考を無理に止めようとするのではなく、思考の動きを見張り、感情を感じ、リアクションを観察する、ただそれだけで十分です。
「気づいている私」に立ち戻る練習
思考を観察し続けていると、あなたは「独り言をする声」と、「それを聞き、観察している本当の自分」がいることに気づき始めます。
この「本当の自分」の感覚は思考とは別のものであり、思考を超えた源泉から発せられています。
この観察という行為によって、思考と、観察している自分との間に「隙間(空間)」が生まれます。
この瞬間に、あなたはもはや思考の罠にはまっておらず、思考を自分と同一視していない「気づき」そのものになっているのです。
思考の観察を通じて「いまに在る」状態へと移行すると、無心状態(思考のない静けさ)が生まれます。
最初のうちはほんの数秒かもしれませんが、この状態はだんだんと長く続くようになります。
無心状態の時に実感する心の平安こそが、普段は思考にかき消されている「大いなる存在」との一体感なのです。
思考と一つになっている時よりも意識はずっと鋭敏で覚醒しており、あなたは完全に「今に在る」のです。
この静けさ(沈黙)と平和こそが、あなたという存在のエッセンスです。
思考を受け入れると静けさが現れる
思考は、あなたが生み出しているものではなく、意識の中に自然に現れては消えていくものです。
それに抵抗するのではなく、ただ見つめること――その静かな気づきの中で、思考は力を失い、存在の静けさがあらわれます。
思考を支配する必要はありません。
思考を観ることが、時間のない次元を開き、自由への入り口となるのです。
「いまに在る」ことが自由への鍵であり、私たちが自由になれるのは「いま」しかないのです。
エックハルト・トール
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