エックハルト・トールの教えにおいて、「思考」と「感情」は、私たちの「偽りの自己(エゴ)」を構成する二つの主要な要素ですが、その役割と本質には明確な違いがあります。
トールの定義によれば、思考は「心の状態」であり、感情は「思考の状態が身体に映し出されたもの」 であると理解することができます。
この記事では、トールの教えに基づき、思考と感情の違い、そしてそれらがどのようにして私たちの苦しみの原因となるのかを解説します。
思考の正体
トールがいう「思考」とは、絶え間なく頭の中に流れ続ける、意図しない強迫的で自動的な「心の声」のことです。ほとんどの人は、この声を自分自身だと完全に同一化しています。
思考は常に「私」という概念を確立するために対極にある「他者」を必要とし、分離を促します。
また、自分を正当化するために、「自分が正しい、相手が間違っている」と決めつける傾向があります。
また、思考は過去の記憶と未来の予測にしがみつくことでしか存在できず、「いまこの瞬間」を無視するか、単なる通過点として扱います。
思考は、私たちが本来持つ形のない「意識」とは別のものです。
思考は道具として使うべきものですが、多くの人が逆に思考に支配されています。
感情の役割
感情は、思考とは異なり、心と体の接点から発せられるものであり、思考の状態に応じた身体の反応です。
感情は、思考が体に鏡のように映し出されたものだと表現されます。
思考が「私は脅かされている」という物語を語ると、身体は即座に収縮し、それが恐怖心として現れます。
攻撃的な考えや敵意は、身体に怒りのエネルギーを蓄積させます。
自分がどんな思考を抱いているか自覚していなくても、激しい感情が湧くことで、自分の思考活動(あるいは潜在意識下の無意識の想定)に気づくことができます。
感情は、その時点のあなたの「本音」であることは確かです。
恐怖、不安、怒り、憎しみなどのネガティブな感情は、身体の調和を妨げ、心臓や免疫システムなどの安定した機能を乱します。
例えるなら、思考はシナリオライターであり、感情はシナリオに反応して発動する俳優の身体的反応です。
シナリオが「私は危険だ」と書けば、たとえ安全なベッドにいても、身体は心拍数を上げて危険に備えます。
思考と感情の悪循環
思考と感情は切り離せない関係にあり、互いに影響し合って、苦しみという悪循環を生み出します。
- 思考(エゴ)が機能不全な物語(例:「私は不十分だ」「誰も私を愛してくれない」)を作り出す。
- 感情がその思考に反応し、身体にネガティブなエネルギー(不安、悲しみなど)が生まれる。
- この感情エネルギーが、今度はそれを生み出した思考にエネルギーを供給し、さらにネガティブな思考を拡大させる。
このサイクルを通じて、過去に経験し、適切に処理されなかったネガティブな感情(怒り、悲しみ、恐れなど)は、「ペインボディ(痛みの身体)」と呼ばれる独立したエネルギー場として心身に蓄積されます。
ペインボディはネガティブなエネルギーを糧として生きる寄生体のようなもので、活性化すると、あなたの思考を乗っ取り、不幸な物語を語らせることで自らを再生します。
感情を超えた領域
思考と感情は、エゴの領域に属し、常に二元性(両極性)の法則に支配されています。
快楽(ポジティブな感情)には必ず苦痛(ネガティブな感情)という対極が伴います。
例えば、ドラッグによるハイな状態は、必ずいずれローな状態(苦しみ)に変わります。
親密な人間関係における感情の高ぶり(快楽)も、ほんのわずかな期間で簡単に痛みへと変わってしまうことがあります。
賞賛や承認を得れば一時的に幸福感を得ますが、批判や無視に遭えばすぐに暗い気持ちになります。
ポジティブな感情とネガティブな感情は、コインの表と裏のようなものであり、エゴ的思考には不可欠な「痛み」の一種です。
エゴ的な感情や快楽は、外部の出来事や状況に依存しており、不安定で常に変化しています。
しかし、トールは、感情よりもさらに奥深い場所に、愛、喜び、平和といった「感情ではないもの」が存在すると説きます。
これらには対極が存在しません。
なぜなら、これらはエゴの二元性の領域を超えているからです。
「対極がない」という概念は、私たちを常に揺さぶり、苦しめるエゴの二元的な世界から抜け出し、揺るぎない平和と喜びに満たされた真の自己(大いなる存在)に目覚めることこそが人生の第一義的な目的である、というトールの教えの核心を示しています。
心の雑音(思考)や痛みのエネルギー(感情)から解放され、内なる静けさと平和が回復したとき、あなたは自分自身が愛そのものであることに気づきます。
まとめ
思考と感情は、エゴが自己を維持し、私たちを苦しみのサイクルに引きずり込むための道具です。
思考は、「私は誰か」「次に何をすべきか」という心の物語を生成し、感情は、その物語に生命力(エネルギー)を与え、身体レベルで現実味を持たせる役割を担っています。
このサイクルから抜け出し、真の自由を得る道は、思考や感情を「自分自身ではない」と見抜き、ただ観察することです。
あなたが思考と感情の観察者になるたび、あなたはエゴの支配から解放され、その瞬間に真の自己である「意識(気づき)」が光のように現れ出るのです。
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