思考=自分ではない

思考を止めようとするほど苦しくなる理由|思考は敵ではなくただの現象

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私たちの内なる葛藤と苦しみの大部分は、頭の中で絶え間なく続く「思考の声」が原因です。

特に、不安やネガティブな考えが止まらないとき、私たちは「なんとかしてこの思考を止めたい」と強く願います。

しかし、エックハルト・トールは、この「思考を止めようとする試み」こそが、かえって心の苦しみを増幅させると指摘します。

その理由は、私たちが思考の奴隷になっているという根本的な錯覚と、それによる抵抗の仕組み にあります。

この記事では、「思考を止めようとするほど苦しくなる理由」を解き明かし、思考を敵とせず、真の自由を得るための道筋を解説します。

「思考を止めたい」という望みもまた思考である

思考は自分の意志で生まれていない

私たちは、自分の思考を、あたかも自分の意志でコントロールできる「自分自身」の活動だと信じ込んでいます。
しかし、トールは、自分の思考を自分の意思で完全にストップさせることはできないのが事実であると指摘します。

もし思考を完全にコントロールできるなら、好きな時にスイッチオフにできるはずです。
それができないということは、思考が「主人」になりすまし、私たちが「しもべ」になっている状態であることを示しています。

思考は、意識活動のごく小さな一面にすぎません
意識そのものは、思考なしで存在できますが(意識は存在するために思考を必要としません)、思考は、まるで勝手気ままに活動する暴走した機械のようなものなのです。

思考を敵視すると、心の抵抗が始まる

私たちが「この不安な思考をやめたい」「こんなネガティブな考えは消えてほしい」と強く望むとき、その「止めたい」という望み自体も、実は新たな思考 にほかなりません。

思考の問題は、思考のレベルでは解決できないのです。

思考に「邪魔者」「敵」というレッテルを貼ると、私たちはその思考に対して戦い(抵抗)を始めます。
この抵抗の行為は、思考そのものを批判したり分析したりする形で現れますが、批判もまた、「応戦という形の思考の声」に変わりありません。

つまり、思考を止めようとするたびに、私たちは自ら新しい思考を生み出し、結果として頭の中の雑音をさらに大きくしているのです。

抵抗のエネルギーが苦痛を強める仕組み

思考を抑圧するとなぜ苦しみが生まれるのか

思考を無理に抑え込もうとすると、抵抗のエネルギーが生まれます。

トールは、私たちの苦しみや不幸の主な原因は、「すでにそうであるもの」に対する拒絶や抵抗にあると説きます。
この抵抗のエネルギーがネガティブな感情や苦痛を増幅させ、思考をより強固にしてしまいます。

思考が「痛み」を生み出すメカニズムは、まさにこの抵抗にあります。
思考の主な仕事は「感情的な痛み」と戦い、それを取り除くことですが、トールは皮肉にも、思考が痛みを取り除こうと奮闘すればするほど、傷口は広がる一方だと説明します。
思考に痛みを解決させようとすること自体が、無理な話なのです。

「いま」を拒絶することが不幸の原因

思考が作り出す苦しみの本質は、「いま」を拒絶することにあります。

すべての苦しみは、思考の中に、そして過去や未来にのみ存在しています
本当は常に「いまこの瞬間」しか存在しないにもかかわらず、思考は過去や未来を作り出し、私たちを唯一の現実である「いま」から引き離します。

思考が「いま」を障害や敵として扱うとき、「こうあるべきだ」「こうすべきではない」という心の声が満ち、私たちは人生そのものを敵に回しているのと同じ状態になります。

この「いま」を失うことこそが問題であり、苦しみを生み出す根本原因なのです。
思考を止めようと抵抗する行為は、いまこの瞬間への抵抗であり、結果的に心の平安を遠ざけてしまうのです。

思考と戦うのをやめ「気づき」に立ち返る

思考を「観察する対象」として捉える

思考の奴隷の状態から解放されるための第一歩は、「自分の思考は本当の自分ではない」 と気づくことです。
この気づきこそが、無意識状態の出発点 である「思考を本当の自分とみなすこと」から抜け出す道なのです。

解放への実践は、思考と戦うことではなく、「できる限り思考の声に耳を傾けること」 です。

  • 頭の中で流れる独り言を、批判したり分析したりせず、偏りのない心で聞く
  • 頭の中の声を「思考を見張る」こと、あるいは「雲が流れるのを見るように眺める」こと

このとき、私たちは思考を「私自身」ではなく、「意識の中に起こる現象」として客観的に捉え直します。

思考と自分との間に「隙間(空間)」を作る

思考を観察し続けると、驚くべき事実に気づきます。
それは、「独り言をする声」と、「それを聞き、観察している本当の自分」がいるということです。

極度の苦痛の瞬間、トール自身も、「耐えられない自分」と「その自分を生きていきたくないもう一人の自分」がいることに気づきました。
この「もう一人の自分」の感覚こそ、思考とは別の、思考を超えた源泉から発せられている真の自分(意識) なのです。

この観察の行為によって、思考と、観察しているあなたの間に隙間(空間)完全に「いまに在る」 のです。

「いまに在る」ことは、思考を止めようとする努力ではなく、思考を超えた意識の状態です。
思考を観察し、「私は私の思考ではない」と認識することで、あなたは心の平安へとたどり着きます。

思考を超えた静けさが本当の自由

思考は敵ではなく、情報処理のための道具にすぎません。
その道具を無理にねじ伏せようと抵抗する行為こそが、私たちを苦しめているのです。

思考の束縛から解放されるには、抵抗をやめ、いまをあるがままに受け入れ、ただ気づきを向ける ことです。
思考を真剣に受け止めず、雲が流れるように眺めているとき、思考の奥にある静けさと平和 を体験できます。

あなたが思考でも感情でもなく、大いなる存在 と一体であることに気づくこと。
それこそが、究極の自由なのです。

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