目覚めながら生きる

目覚めるとどうなるのか?心の静寂がもたらす新しい意識の世界

目覚めながら生きる
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エックハルト・トールの教えにおいて、「目覚め(悟り)」とは、特殊な超能力を得ることではなく、偽りの自己意識(エゴ)が作り出した思考の夢から覚め、真の自己(大いなる存在)へと還ること を意味します。

この意識の変容は、私たちの人生の「外側の目的」(何を成し遂げるか)よりも、「内側の目的」(どのように在るか)を優先させる生き方へと導きます。

この記事では、目覚めることで人生に起こる具体的な変化を、トールの教えと実際の体験談を通じてご紹介します。

目覚めとは:苦しみの終焉と意識の回復

私たちが抱える悩みや問題の多くは、エゴと呼ばれる「自己同一化された思考や信念の集合体」によって作り出されています。
エゴは絶え間なく過去や未来にさまよい、「いまこの瞬間」から意識を遠ざけるため、不安や苦しみを生み出します。

しかし、思考と、それを観察する気づきが分離するとき、すなわち目覚めが起こるとき、根本的な変化が訪れます。

思考の暴走からの解放

ほとんどの人は、頭の中で休みなく流れ続ける「声」を自分自身だと誤解しています。
目覚めとは、この声が自分ではないと気づき、思考を客観的に眺められるようになることです。

思考に引きずり回されなくなり、心の葛藤や人との摩擦がなくなります。
多くの人の悩みや問題は、この目覚めた瞬間に消え、人生がシンプルで楽になるのです。

真の「在ることの喜び」の回復

思考がぴたりと止まったとき、心の平安を実感します。
意識は「いま」に研ぎ澄まされ、普段見慣れているはずの部屋や、手当たり次第に拾い上げた鉛筆、空っぽの瓶など、あらゆるものに宿る生命とその美しさ に驚かされます。

エゴが生み出す快楽(ポジティブな感情)は、必ず苦痛(ネガティブな感情)という対極を含んでいますが、目覚めたときに現れる愛、喜び、平和は、感情を超えた本質的な心の状態であり、反対の性質がありません。
この喜びは外部の出来事に依存せず、ただ存在していることの喜びとして内側から湧き出ます。

目覚めた行動と人生の質の変化

目覚めた行動とは、「何をするか」という外的目的よりも、「どのように在るか」という意識の状態を最優先する行動です。
目覚めた意識から生まれる行動は、人生の質と結果を根本から変えます。

目覚めた人は、目的がある時だけ思考力を使います。
すべての行動が気づきに満たされ、行動そのものが主たる目的となります。
皿洗いや通勤といった日常の単純な行為でも、全身全霊を注いで行えるようになり、その行為の中に流れ込む生命の躍動を楽しむことができます。

苦しみは、今を生きていないときに生まれる というのがトールの教えの核心です。
今この瞬間に完全に意識を集中することで、過去の後悔や未来の不安、そしてそれに伴うストレスが軽減され、心の中に静けさと余裕が生まれます。

困難な状況や予期せぬ出来事に対しても、抵抗したり、感情的に反応したりしなくなります。
抵抗しない代わりに、状況をあるがままに受け入れ、生命の流れそのものと調和した行動(応答)が自然に起こります。

目覚めて生きる人々の変化のストーリー

目覚めのプロセスは、人生の危機や喪失、あるいは日々の実践の中で突然訪れることがあります。
ここでは、意識が「形(フォーム)」から「存在(ビーイング)」へとシフトした人々の体験を紹介します。

体験1:指輪への執着を手放した女性

ある女性は、祖母からもらった大切な指輪を盗まれたかもしれないという状況に直面し、激しい怒りと自己防衛の感情に囚われていました。

彼女にとって指輪は「ただの物」ではなく、彼女自身のアイデンティティの一部でした。

トールの教えでは、私たちが「私のモノ」という思考と物とを同一化すること(エゴのメカニズム)によって、所有物が壊れたり失われたりしたときに、それがまるで「自分自身が損なわれた」かのように感じ、苦しむのだと説明されています。
この女性も同様に、指輪の喪失の可能性を「自分が損なわれること」だと感じていたのです。

トールは彼女に対し、その感情を頭で考えて解釈するのではなく、ただ身体で感じるように促しました。
彼女は、自分の内なる苦痛(感情的な痛み)を、「不幸な思考」というフィルターを通さずに直接見つめようと試みました。

彼女は自分の心に「指輪を失ったら私は損なわれるだろうか?」と問いかけ続けました。

この問いに対し、最初は「そりゃもちろん損なわれる」というエゴ的な思考が答えましたが、彼女は「考えて答えを出すのではなく、感じてみよう」としました。

その瞬間、彼女は不意に「私はある(I Am)」という強烈な感覚を体験しました。

彼女は、思考の中にある指輪を「自分」と混同し、自分の一部が指輪の中にあると信じ込んでいたことに気づきました。

指輪への執着が消えた彼女は、イエス・キリストの教え「下着を取ろうとする者がいたら、上着も与えなさい」という言葉の真の意味を理解しました。
これは、「時には、物を手放す方が守るよりも、しがみつくよりも、はるかに力強い行いだ」という、抵抗を放棄した状態の強さを意味します。

彼女の身体が衰弱していった晩年、彼女は内側から光が輝きだしているかのように明るく、多くの人にものを分け与えました。
その中には、かつて指輪を盗んだと疑った女性も含まれていました。
そして、与えるたびに、彼女の喜びはますます深まっていったのです。

体験2:不幸の物語から解放された女性

別の女性は、ひどく重苦しい「不幸な自分」という重荷を背負って生きていました。
彼女は、自分の思考でペインボディ(過去の感情的苦痛のエネルギー体)を養い、そのフィルターを通して人生を見ていたため、常に不幸な出来事ばかりを引き寄せていました。

彼女は、トールから「不幸な思考」というフィルターを通さずに、身体の中で何を感じているか、あるがままに直接感じるように促されます。

最初は「受け入れるなんてできません!」と反発しましたが、やがて彼女は、自分の不幸を「気にしない」ことを試みました。
つまり、不幸な自分という物語にエネルギーを供給するのをやめたのです。

その瞬間、彼女はこう表現しました。

「おかしいですね。私は今も不幸です。でも、その『不幸』の周りにスペースができたみたい。前ほど重大に思えなくなりました」。

この「不幸の周りにスペースができた」という感覚こそが、目覚めの始まりでした。

彼女は、自分の内なる苦痛の感情に自分を同一化するのをやめ、「不幸な物語がなければ、不幸ではいられない」という真実に気づきました。
思考や感情から一歩引いた「気づき」として存在するようになったことで、彼女の不幸は終わったのです。

体験3:禅師の「ほう、そうか」が示す受容の力

日本の禅僧、白隠禅師の逸話は、出来事に対する抵抗の放棄がもたらす自由を教えてくれます。
娘が妊娠し、その子の父親だと濡れ衣を着せられたとき、白隠は町中の非難や評判の失墜にも関わらず、ただ一言、「ほう、そうか」と静かに応じました。

彼は、赤ん坊を献身的に世話しましたが、後に真の父親が名乗り出たときも、彼が言ったのは再び「ほう、そうか」でした。

この態度は、「良い出来事も悪い出来事も、すべては今という瞬間の取る一時の『形』にすぎない」という悟りの境地を示しています。
白隠は、出来事を個人的なものとして捉えず、抵抗しなかったため、出来事に翻弄されることなく、静寂と知恵から「いまこの瞬間」に求められた行動を取ったのです。

実践のヒント:あなたの意識が向かうべき場所

これらのストーリーが示すように、目覚めとは努力や苦闘によって達成するゴールではなく、「いまに在る」という意識の状態に戻ることです。

  1. 思考の観察者になる
    頭の中の独り言や、自分を不安に陥れる「未来の予測」や「過去の後悔」といった思考を、批判せずに客観的に眺めましょう。思考の流れに気づいている「本当の自分」の存在(気づき)を感じてください。
  2. 身体に根を下ろす(インナーボディ)
    意識を呼吸や、手のひら、足先など、身体の内側にある生命エネルギーの場に向けましょう。身体の内側に「住まう」ことは、あなたが「いま」に在るための確かな「錨」となります。
  3. 「いま」にイエスと言う
    人生で起こる状況に対して、内側で抵抗するのをやめましょう。不快な状況であっても、「すでにそうであるもの」をあるがままに受け入れます。いまこの瞬間を友人とする決断をすることで、人生は向かい風から追い風へと変わります。

新しい人生を生きる

あなたが「いまに在る」力を深め、エゴの幻想から解放されるとき、それはあなた自身の苦しみを終わらせるだけでなく、人類全体の意識の変革に貢献することになります。

私たちが真に「乳和(にゅうわ)なる者」(エゴのない人)となり、自分の本質である意識をこの世界に現すこと、それこそが、私たちの旅の究極的な目的なのです。

エックハルト・トールの言葉を胸に刻み、意識を「形なき本質」に戻しましょう。

「あなたの生命(人生)は『いま』です。私たちの人生が『いま』でなかった時など、これまで一度もありませんでしたし、未来永劫ありません」

エックハルト・トール

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