私たちはなぜ、SNSで誰かの成功を見たり、友人との会話で自分にないものを見つけたりすると、苦しくなってしまうのでしょうか?
エックハルト・トールの教えによれば、この「比較」という行為は、私たちの思考が作り出した「偽りの自己」、すなわちエゴ(幻の自己)の構造に深く根ざしています。
エゴは、自分を「私」として確立し、強化するために、常に「他者」という対極の存在を必要とし、絶え間ない競争と優越感の追求を繰り返すのです。
思考と一体化している限り、私たちはこの比較の罠から抜け出せず、真の心の平安に到達することはできません。
エゴは「他者」と「敵」を必要とする仕組み
エゴは「私」と「それ以外」の分離で確立される
エゴが「偽りの自分」として存在する上で不可欠な構造が、「同一化」と「分離」です。
エゴが「私」という思考を確立するためには、その対極となる他者という概念が必要です。
エゴは、自分と他者を分離し、その分離意識を強固にすることで「私」という概念を強く確立させようとします。
私たちが私と言ったりするとき、大抵はその主体は本当の自分ではなく幻の自分であり、この幻の自己は常に「私」と「それ以外(分離した他者・世界)」という二元論の世界に生きているのです。
比較による優越感の追求と劣等感の裏にある願望
エゴは、他者との比較を通じて、その存在価値を測ります。
エゴは常に比較の中に生きており、「他人にどう見られているか」によって「自分が何者か」を決めます。
誰かが自分より多くを所有したり、成功していたりすると、エゴは脅威を感じます。
なぜなら、自分の方が劣ると感じると、想像上の自己が小さく縮んでしまう からです。
内気で自信がなく、劣等感を抱いているエゴの奥には、必ず「優越したい」という強い願望が隠れています。
自己を回復しようとして、相手の持ち物や能力の価値を貶めたり、批判したりする。
優越感も劣等感も、どちらも真の安心や満足を与えてはくれません。
他者を「間違い」にすることで、エゴは最も強く存在する
エゴを最も効果的に強化するパターンは、「自分が正しい」という思い込みです。
自分が正しいという立場に立つことは、特定の精神的立場、見解、判断と自分を同一化している状態を意味します。
自分が正しいと思うためには、間違っている誰かと比較しなければなりません。
エゴが自分を強化するためには、誰かを間違いにしなければならない のです。
エゴは、他者を敵と見なしたとき、最も強く存在できます。
自分が優位に立ったという想像を通じてエゴは大きな満足を得るのです。
この「自分が正しく、相手が間違っている」という思考は、個人間の対立はもちろん、集団的なレベルの暴力や破壊的な行動の根源となり、人間として根源的な一つの生命を共有していることさえ見えなくしてしまいます。
比較の束縛から解放され「いま」に在る力
他者との比較を繰り返す心の声は、あなた自身ではありません。
それは、分離と欠乏感に基づいて働く思考という道具の暴走です。
比較の思考を観察し、同一化を断ち切る
比較の苦しみから解放されるための鍵は、思考を止めようと抵抗することではなく、思考を観察することです。
「劣っている」「もっと欲しい」といった思考の声に耳を傾け、それを批判せずに、偏りのない心で客観的に眺めます。
思考を観察し続けていると、「独り言をする声」と「それを聞き、観察している本当の自分」がいることに気づきます。
この「観察している本当の自分」は思考を超えた源泉から発せられています。
この気づきが深まると、思考と自分を同一視するパターンは衰えていき、エゴは力を失います。
既に完全無欠であることに気づく
エゴの欠乏感のループから抜け出すには、「いまに在る」意識を保つことです。
エゴは時間(過去と未来)によって生きており、「いまこの瞬間」には存在できないからです。
あなたの本当の自己は、大いなる存在と一体であり、他者との比較で価値が決まるものではありません。
私たちが「いまに在る」ことによって、すでに完全無欠であると気づくとき、欲望から解放され、他人との競争や比較によって自己を定義する必要がなくなります。
比較を超えた領域にある真の自己
他人と比較して苦しみが生まれるのは、あなたが思考が作り出す「偽りの自己」に支配され、永遠に満たされない欠乏感から行動しているからです。
比較や競争という思考の檻から解放されるには、その思考を敵とせず、ただ静かに観察することです。
あなたが「いまに在る」意識に根ざすとき、エゴの分離意識は溶け、あなたはすでに完全であるという真の豊かさが現れます。
「大いなる存在」とつながっていない限り、私たちは「今この瞬間の豊かさ」を感じることができません。
エックハルト・トール



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