さとりとは

エックハルト・トールが説く「大いなる存在」とは何か

さとりとは
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エックハルト・トールの教えにおいて、大いなる存在(Beingness)は真の自己であり、思考や肉体といった形を超越した純粋な意識の次元を指します。

これは、この世のすべての存在の奥深くにある、目に見えず決して滅びることのない本質そのものであり、神とも言い換えられる概念です。
※トールは、「神」という言葉が持つ固定観念や誤解を避けるため、「大いなる存在」という言葉を頻繁に用います。それは、キリスト教でいう「永遠の生命」、仏教でいう「仏性」、ヒンドゥー教でいう「アートマン」とも通じる概念です。

トールは、この大いなる存在の輝きと心の平安こそが真の富であると説き、これを持たない人はどれほど物質的に豊かであっても、物乞いと同じ状態であると指摘します。

この記事では、「大いなる存在(Beingness)」とは何かについて、エックハルト・トールの教えに基づき、その本質、特徴、そしてアクセス方法を詳細に解説します。

大いなる存在の本質と特徴

大いなる存在は、私たちの人生の基盤となる「生命そのもの」であり、それを認識する「意識」でもあります。
それは、努力や探求によってどこか遠い未来で獲得するものではなく、完全無欠な状態で、すでに私たちの内側に存在するとされています。

大いなる存在が持つ属性は、人間の思考や感情が生み出す二元的な性質を超越しています。
それは、愛、喜び、そして心の平安という3本の柱として現れます。

これらの状態は、外部の状況に左右される感情的な快楽とは異なり、対極が存在しないため、永遠の質を持っています。
特に沈黙と平和は、私たちという存在のエッセンスそのものであると述べられています。
たとえ周囲の世界が崩壊したとしても、大いなる存在と一つになっている人は、心の奥底で揺るぎない深い平和を感じていることができるのです。

さらに、大いなる存在は果てしない知性の世界であり、私たちの日々の思考は、その知性のごく小さな一面にすぎません。
思考が静止し、私たちがただ見つめ、耳を澄ますことによって、観念ではないこの英知を内側から呼び覚ますことができるのです。

エゴによる断絶と不安からの解放

大いなる存在を経験することを妨げている最大の原因は、自分の思考を本当の自分だと誤解してしまうことです。
この誤解によって生まれるのが、思考と同一化した幻の自己(エゴ)です。

エゴは形あるもの(思考、肉体、所有物、役割など)との同一化によって生きながらえているため、形がなくなること、すなわち喪失を常に恐れています。
エゴは絶えず欠乏感や不安に苛まれており、それを埋めようと外部に満足感や所有物を求めますが、幻想は決して私たちを永続的に満たしてはくれません。

しかし、私たちが自分の本質が形のない生命意識であり、失われることがない不滅の存在であると気づいたとき、エゴから生まれる不安は解消されます
真の自分、すなわち大いなる存在は、誰かや何かによって傷つけられることがないからです。

大いなる存在とつながる方法

大いなる存在は常に私たちの中にありますが、それとつながるための唯一の鍵は、「いまに在る」(Presence)ことです。

  1. いまという瞬間の受容
    大いなる存在を否定し、心の平安を妨げているのは、過去や未来にしがみつき、「いま」という瞬間を否定する心理的な時間です。
    いま、目の前で起こっている状況を否定せずに完全に受け入れるとき、私たちは時間を超え、エゴを解体し、大いなる存在と調和します。
    無抵抗の境地に達したとき、心の奥底では戦慄するほどの平和を感じることができます。
  2. 意識的な気づきと空間
    思考を止め、無心状態(思考のない静かな状態)に入ると、心の平安を実感し、それが大いなる存在との一体感となります。
    これは、思考と思考の間に生じる沈黙や空間に意識を向けることによってアクセスできます。
  3. 内なる身体への意識
    内なる身体(インナーボディ)の生命感に意識を集中させることも、大いなる存在へつながる入口です。
    身体は常に「いま、ここ」に存在しているため、身体を感じることは、私たちが思考や感情という形から離れ、形のない本質と同一化することにつながります。

このように、大いなる存在とは、私たちが思考や感情のヴェールを剥ぎ取り、「いまに在る」という意識の光を当てることで、いつでも体験できる本質的な生命力と、揺るぎない平和の次元なのです。

悟り(エンライトメント)とは、このエゴの幻想から解放され、大いなる存在と一つであるという自然な状態を保つことにほかなりません。

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