私たちは、日常生活のほとんどを「頭の中の声」と共に過ごしています。
その声は、絶え間なく過去を反省し、未来を心配し、目の前の出来事にラベルを貼り、批判や判断を下します。
エックハルト・トールは、この思考の流れと自分自身を同一視することで作られた「偽りの自分」をエゴ(自我)と呼びます。
エゴは常に形(フォーム)に依存して存在しており、あなたの名前、職業、所有物、意見、そして「私は〇〇である」という概念を通じて自己を定義します。
例えば、所有物が壊れたとき、悲しむのはその物の価値ではなく、「私のもの」という考え、すなわちエゴが損なわれたと感じるからです。
しかし、この偽りの自己であるエゴは、苦しみと不幸の根源です。
なぜなら、エゴは「いまという瞬間」を無視し、否定し、抵抗することでしか生きられないからです。
この記事では、思考のない静けさの中に現れる“何者でもない自分”(大いなる存在)の感覚を解説します。
思考の沈黙が「心の平安」を連れてくる
真の自己から切り離された心の活動(思考の暴走)は、心に静けさをもたらすことなく、主人不在の間に家(体)を占領する迷惑な来客のようです。
この思考の喧騒から脱却し、「形のない本質」内なる静寂を取り戻すことです。
抵抗が止まり、意識の空間が生まれる
トールは、思考活動を客観的に眺め、それに自分を同一化しないこと(気づき)が、無駄な思考活動を終わらせる第一歩だと説きます。
- 観察者の発見
思考を批判せず、偏りのない心で眺め続けると、「独り言をする声」と、それを聞き、観察している「本当の自分」がいることに気づきます。 - パワーの移行
この「本当の自分」の存在(気づき)は、思考とは別の、思考を超えた源泉から発せられています。思考を観察すれば、思考のパワーは失われ、無心状態が生まれます。 - 心の平安の訪れ
思考がおしゃべりをやめると、心に「心の平安」が実感されます。
これは、普段は思考にかき消されている「大いなる存在との一体感」であり、人生の状況に抵抗しないことで訪れる安らぎと静けさの次元です。
この静けさ(沈黙)こそが、あなたの内にある「空間」であり、思考やエゴを超えた部分と触れ合うための最も手っ取り早い方法です。
思考の奥にある「何者でもない自分」の感覚
思考が静まり、内なる空間が開かれたとき、あなたは初めて「何者でもない自分」の感覚に触れます。
この感覚こそ、トールが「大いなる存在(ビーイング)」と呼ぶ、あなたの本当のアイデンティティです。
「私はある(I Am)」という揺るぎない確信
「大いなる存在」は、あなたの人間的な名前や外見を超えた永遠の生命であり、それは言葉で完全に表現することはできません。
しかし、私たちはその存在を自覚的に感じられるのです。
「私は今ここにこうして存在している」という感覚、それが大いなる存在です。
この感覚は「私は〇〇です(名前や職業など)」という呼び名を超えた本当の自分に気づくことです。
トールの悟りの体験からも、思考が止まった瞬間、彼は部屋のありとあらゆるものに宿る生命とその美しさに気づき、「この温かい光は愛そのものなんだ」「形への同一化」曇りガラスを通さずに世界を眺めた結果でした。
愛・喜び・平和の泉
思考が静まり、大いなる存在とつながると、そこから愛、喜び、平和が泉のごとく無尽蔵に溢れ出ます。
これらは「感情」とは異なり、さらに奥深い場所から湧き出るものであり、大いなる存在とつながっている状態の三本の柱です。
これらの要素に共通するのは、「対極に位置するものが存在しない」という点です。
あなたが「いまに在る」ことで、あなたは形のアイデンティティから自由になり、あなたの意識は、一時的な存在を超えた永遠の存在そのものとなります。
日常生活の中で内なる静寂へ導かれる実践
悟りは「聖人君子だけが達する超人的な心境」という先入観とは異なり、日常生活のあらゆる場面で実践できます。
- 呼吸を観察する
意識を思考から引き離して「空間」を作る最もシンプルで確実な方法は、自分の呼吸を観察することです。息を吸う瞬間、吐く瞬間、その動きを感じるだけで、思考の流れの中に隙間が生まれます。 - インナーボディに根を下ろす
意識を体の内側にあるエネルギー場(内なる身体)に向けます。この感覚は、あなたを「いまこの瞬間」に繋ぎ止めるアンカー(錨)となり、外界で何が起ころうとも、私たちはびくともしません。
これらのシンプルな行動は、あなたを「思考優勢」の無意識な状態から解放し、内なる静寂へと導きます。
この静寂こそが、あなたを形の世界の支配から解放し、真の自由と平和をもたらすのです。
「大いなる存在を思考で定義しようとするのは、虚しい努力です。大いなる存在は、名前や形を超えた――「私は永久に存在する」という感覚として認識できます。そして、その“大いなる存在”を認識し、その状態にしっかりととどまることこそが、「悟りを開く」ということなのです」
エックハルト・トール

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