エゴ

「役割」と自分を混同すると苦しくなる|エックハルト・トールが語る“本当の私”

エゴ
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私たちは社会の中で、職業人、親、配偶者、あるいは地域の一員として、さまざまな「役割」を担って生きています。

これらの役割は生活に秩序をもたらしますが、エックハルト・トールは、その役割を「自分自身」だと信じ込むことこそが、心の苦しみの根源であるエゴ(幻の自己)を強化する罠であると説きます。

役割は、社会で生きていくために必要な一時的な「仮面」 にすぎません。

しかし、この仮面に自分を同一化してしまうと、役割を失ったとき(退職、子どもの巣立ちなど)に、自分自身をも失ったかのような深い喪失感に襲われてしまうのです。

「役割」の誕生

幼少期から始まる「形」との同一化

エゴ、すなわち「偽りの自分」は、人生の早い段階から「何かとの同一化」によって作り上げられていきます。私たちは、親が名前を呼ぶことから始まり、まずその名前を自分と同一視します。

成長するにつれて、この「私」という思考は、物質的な所有物だけでなく、概念や精神的な立場といった「形」と結びついていきます。

社会的役割はエゴの重要な所有物

社会生活において、エゴが自己意識を確立するために選ぶ主要な「形」が、社会的役割(社会的アイデンティティ)です。

社会の期待

社会は「事前に決められている役割」を通して私たちに期待し、私たちはその期待に応えようとします。
教師と生徒、上司と部下、夫と妻など、これらの役割は世界で生きていくために必要な道具ではあります。

アイデンティティの要素

職業、社会的地位、経歴、家族の中での立場(親、子)といった役割と自分を同一化することで、エゴは「私はこういう人間である」という偽りの自己イメージを築きます。

エゴにとって最も重要なのは、その役割が何であるかではなく、「何かに同一化している状態」そのものなのです。
その結果、私たちは役割を「仮面」ではなく、自分の顔そのものだと信じ込んでしまうのです。

役割の喪失と「自己」の崩壊

役割が終わったときの深い喪失感

人生の中で、役割はすべて一時的なものにすぎません。
どんな役割も永遠に続くことはありませんが、エゴはその役割を自分のアイデンティティの中心に据えようとします。

その役割が時間の流れの中で終わったとき、エゴは危機に直面します。

たとえば、長年働いた職場を退職した人が「自分はもう価値のない人間だ」と感じるとき、それは役割の喪失を「自分の喪失」と勘違いしているからです。

役割という「依りどころ」が消えると、エゴが一生懸命作り上げてきた「自分が何者であるか」という虚構の建造物が崩壊し、深い喪失感や空虚感を味わうことになります。

真の自己はどんな役割にも限定されませんが、エゴは「役割の中に自分を閉じ込める」ことで、その本質から私たちを切り離してしまうのです。

役割による支配と不満

役割に自分を閉じ込めているとき、私たちは「私はこういう立場の人間だから、こう振る舞わなければならない」という思考に支配されます。

例えば、母親という役割に染まりすぎると、子どもを「自分の一部」だとみなし、子どもを通して自分の価値を証明しようとし始めます。
その結果、子どもが自分の期待通りに振る舞わないと、怒りや不満が湧き上がります。

役割を通してものを見ると、すべてが個人的に感じられ、思考によって歪められます
本来そこにあるはずの人間的なつながりが、形式と立場の関係にすり替えられてしまうのです。

エゴの行動はすべて、心の底にある「私は不十分だ」という根源的な不安を解消しようとするものですが、役割を演じてもその穴は決して埋まりません。

役割の仮面を超えて「存在」に目覚める

役割に抵抗せず、観察者になる

役割の支配から解放されるには、役割を敵視して捨てることではありません。
なぜなら、所有を否定しても、エゴはすぐに「私は物質的所有を乗り越えた高尚な人間だ」という精神的な自己イメージに同一化し、形を変えてしまうからです。

重要なのは、「自分が役割を演じている」という事実に気づくこと です。

自分の言動や感情が、役割を守るための防衛反応ではないか、ただの役割演技ではないかと客観的に眺めます

役割に自分を同一化しないまま「するべきことをする」ことが、私たちが学ぶべき最も基本的なレッスンです。
役割を果たしながらも、その背後で「ただ気づいている意識」として存在すること。
そのとき、役割はもはやあなたを支配しません。

「在る」ことの力

役割という「形」への同一化から解放されるとき、私たちは本来の「形のない本質」、すなわち大いなる存在(Being)とつながります。

エゴが時間(過去と未来)によって生きているのに対し、あなたの真の自己は「いま」にしか存在できません。
日常の行動(家事、仕事、人との会話)の中に完全に意識を向ける ことで、「いまに在る」状態が保たれます。

「役割を守るため」ではなく、ただ目的を果たすために行うとき、行動は力強くなり、生命の流れと調和します。
その行動には、無理や努力の感覚がありません

役割は、人生という舞台で一時的に与えられた衣装のようなものです。
衣装を脱いでも、あなたという存在は変わらない
本当の自分は、思考や感情、役割や所有を超えた「存在そのもの」であり、それは決して滅びません。

役割を超えた「在り方」へ

「偽りの役割」に囚われるのは、思考が作り出す自己イメージと自分を同一視し、形の崩壊を恐れるエゴの構造によるものです。

真の自由は、役割を完璧に演じることではなく、あなたがどんな役割を演じていようとも、それに自分を同一化しない ところにあります。

役割を果たしながらも、その背後にある静かな「気づき」揺るがぬ本質であり、最も深い意味での「あなた」なのです。

「本当の自分は、決して死なないと悟ること。」

エックハルト・トール

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