エゴ

なぜ人は最期に執着を手放すのか|死の接近が暴く「エゴの幻想」

エゴ
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死が近づくにつれて、長年抱えてきた物質や思考への執着が薄れていくという現象は、多くの人が経験または耳にすることです。

これは、単なる諦めや虚無感ではなく、自己のアイデンティティを形あるものや思考と同一化する「エゴ(自我)」の幻想が崩壊することによる、意識の根源的な変容であると説明されます。

ここでは、トールの教えに基づき、死の接近が執着の消滅にどのように繋がるのかを解説します。

執着の根源は「エゴ」と「形」の同一化

私たちが日常で「私」だと考えている主体は、多くの場合、真の自己(生命であり意識)ではなく、「エゴ」と呼ばれる幻の自己です。

エゴは、自分という存在を確固たるものとして維持するために、形あるもの(フォーム)と自らを同一化(アイデンティファイ)する衝動を持っています。

この同一化こそが執着の根源です。

エゴは、名前、所有物、性別、職業、外見、精神的な自己イメージなど、目に見えるもの見えないものすべてに付着します。

エゴは、所有物だけでなく、心に浮かぶ思考と本当の自分を同一視すること(根本的な幻想)によっても生きています。
思考は常に「私はこういう人間だ」という物語を作り出し、この思考の流れに完全に自分を同一化している状態は、「心に取り憑かれている」状態とも言えます。

エゴは、常に「まだ十分ではない」「何かが足りない」という根強い欠乏感と不安(恐れ)に苛まれており、この不安を解消するために外側に満足を求め、欲望(もっと欲しいという衝動)に駆られます。
エゴは、思考や感情を維持するために、大量のエネルギーを必要とします。

死によって「所有」と「時間」の幻想が暴かれる

執着の強さは、エゴが形や思考にしがみついている強さに比例しますが、死が近づくと、エゴの存在基盤が根底から崩壊します。

死の床に就くと、所有という概念そのものが完全に無意味であることが暴露されます。

肉体的な死の直後には、「偽りの自己」が死にます。
人生の最後の瞬間には、生を通じて追い求めてきた「完全な自己意識」が、実は常に目の前にあったにもかかわらず、モノにアイデンティティを求めていたせいで見えなかったことに気づくとされます。

また、死ぬ時は、全ての同一化が剥げ落ちます
そのとき、人は形や思考によってアイデンティティを作ることをやめるのです。

エゴは、過去の記憶や未来の期待という心理的な時間に縛られて生き延びています。
心理的時間とは、現在という瞬間を無視し、満ち足りた人生を未来に求める心の習慣です。
死は、この心理的時間とエゴを同時に解体する時間の否定という行為を強制します。

死は「永遠の自己」に目覚める最後の機会

エゴの幻想が崩壊するとき、残るのは苦痛だけではありません。
それは、真の自己(大いなる存在)に目覚める機会となります。

死は、幻想の終わりに他なりません。
形(フォーム)のアイデンティティが幻想にすぎないと気づくとき、死そのものもまた幻であることに気づくのです。

人は形や思考によってアイデンティティを作ることをやめ、その瞬間に形のない意識(大いなる存在)純粋な意識であり、決して失われることがない永遠の生命です。

執着(幻想)にしがみついていなければ、死は痛みなど伴わない穏やかな目覚めとなります。
抵抗せずにあるがままを受け入れる(無抵抗の境地)ことによって、意識の新しい次元が開き、深い平和を感じます。
この揺るぎない平和は、二元性(快楽と痛み)の思考を超越し、物への執着から自由になることから生まれるのです。

このプロセスは、大きな喪失や悲劇(財産、健康、地位の喪失など)を経験した際にも、意識の新しい次元を経験するきっかけになることがあります。
肉体の衰えや解体へ向かう「回帰の動き」は、外への成長を妨げるように見えますが、実際は内なる目的の発見、つまりスピリチュアルな目覚めにつながるチャンスです。

結論として、執着がなくなるのは、死によって偽りの自己が死を迎えるためであり、これこそが「肉体が死ぬ前に『死ぬ』こと(エゴを終わらせること)」の重要性を示す理由なのです。

それによって、私たちは「本当の自分は、決して死なないと悟る」ことができるのです。

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